二〇一〇年代はSFがさらに拡散した時代だった。
それぞれがそれぞれとしてそこにある。それこそが素晴らしい。空が美しい。感謝。
「おやおや、今度は超人種族が自分の精神をコントロールできると信じている? 良くないですね、フォーリーさん、たいへん良くない」
「男たちよ! けだものたちよ! 立ち上がれ!」ロードストラムは吠えた。「旅の終わりにたどりつくのは死ぬってことだ。俺たちはまだ行くぞ!」
「人が神を信じなくなると、その第一の影響で、常識をなくし、物事をあるがままに見ることができなくなる……」
悪文に捧ぐ。
肝心な問題があと一つ——ジュディなのか、ダーリーンなのか。
「人生のすべてがジョークなのさ」とわたしは答えた。「知らないのか?」
無ほど興味深いものはない。無ほど不可解なものはない。そして無ほど重要なものはない。
私は自分がこの話からどんな物語を作ることになるか知っている。一つの言葉から次の言葉へと、徐々に自由になる物語だ。無意味な細部と真空から自らを作り上げていくタイプの物語。偶然みたいな選択が存在しない物語。
緑の草。黄色い太陽。蒼穹。白い雲。 完璧な夏の日。
「ドリフトグラスを探しているんだ」
単観、複観、多観。
いいか、ぼうず、人間は成長するか、それとも死ぬかだ。そのどっちかを選ばなくちゃいけない。そいつは一生続くんだ。
「——手持ちのあらゆる情報が状況の全体像と関わりあっているかどうかを常に確かめるんだ。おれを出し抜くにもそれしかない」
厳密には5月に「読んだ」本ではなく5月に「感想をブログに載せた」本である。私以外にとっては全く関係ないし、私自身もどうでもいいと思っている。SF、ミステリ、非文芸書から一冊ずつ選んだ。
「先住民のブラックフット族の言いつたえでは、茶色い蛾は眠りと夢をもたらすんですって」
この世をふかく、ゆたかに生きたい。そんな望みをもつひとになりかわって、才覚に恵まれた人が鮮やかな文や鋭いことばを駆使して、本当の現実を開示して見せる。それが文学のはたらきである。
全ての可能な文字列。全ての本はその中に含まれる。
ここに本来書かれているものは、今見えている文章では全くない。
「昔、文字は生きていたんだと思わないかい」
だけど、また本を最初から読みはじめれば、みんな帰ってくるんだよ。
それから三分後、機密警察の一員ガブリエル・サイム氏は、ヨーロッパ無政府主義総評議会の木曜日に選任された。
わたしはこの街、香料樹園にある公共図書館の、四段構造になった書架のうち、上から三段めの棚に住んでいる。
いずれにしろ、世界は終わりを迎えるか、もしくは、終わらないとしても闇に飲まれることになる。
金庫にふれるときは、それを女だと思え。ぜったいにそれを忘れるな。
読んだ。
これは私の知る限り、最も不思議な事件だ。おそらく世界にもまずめったに例を見ない不可能犯罪であろうと思う。
わたしたちが[時間]と呼んでいるものは、さまざまな層や構造の複雑な集合体なのだ。
読んだ。6600万年よりもさらに長い50億年。それは地球が生まれてから生物が住めなくなるまでの時間でもある。