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G・K・チェスタトン『木曜日だった男』感想

それから三分後、機密警察の一員ガブリエル・サイム氏は、ヨーロッパ無政府主義総評議会の木曜日に選任された。

読んだ。

「ブラウン神父」シリーズで有名なチェスタトンによる著作。 狐につままれたような読後感。というか、この話自体が狸に化かされるような話でもある。

あらすじ

詩人であるサイムは無政府主義者たちの会合に紛れ込む。彼はテロリズムを未然に防ぐ秘密警察の一員であり、無政府主義者たちの計画を掴んで阻止しようとしていた。無政府主義者の演説に割り込んで代表の座を獲得したサイムは中央会議に訪れる機会を得る。「木曜日」として会議に出席したサイムは議長である「日曜日」と出会い、そこから悪夢のような追跡と逃走劇が始まる。

感想

  • 古典。森見登美彦の何かの本で初めて名前を見て以来、気になっていた。まあ古典だった。
  • 目を見張る真相といったものはない。これはこうかな、と思った方向に話が進む。それでも中盤から始まる追跡者と逃走者のドタバタ入れ替わり劇や町中から追われる展開になるスラップスティックじみた終盤はちょっと面白かった。あとは雰囲気作りに気合が入っていたり。
  • 結局日曜日とはなんだったのか。そもそもこの話がなんだったのか。ミステリに分類したが奇妙な味で押し通せない奇怪さ、おどろおどろしさがある。さっきも言ったように不条理もの、スラップスティックというのが適切そう。
  • あとがきによるとチェスタトンの序文が重要らしい。友人がどうこう、結婚が云々。この文を考えると詩人のグレゴリーとその妹ロザモンドに注目すべきかもしれない。彼らは本の大半を占めるスパイ冒険活劇には出てこないで、最初と最後に少しだけ登場する。無政府主義者が秘密警察になり、追跡者が逃亡者になり、悪魔のような「日曜」が神の如き存在になる。そういった不条理なドタバタ劇、不確かさと混乱の極みとは一切関係のないところにこの二人は立っている。序文の最後、

僕らはやっとあたりまえのものを見つけた——そして結婚と信条を。

という文はまさにこの物語の最後にグレゴリーとロザモンドが現れる場面に重なる。チェスタトン自身の信仰や諸々に対する危機的混乱とその解決が姿を変えたものがこの小説なのかもしれない。

その他

  • 夢オチという解釈。題名からして悪夢と言っているのでまあそう。『不思議の国のアリス』との類似というのは言われてみると確かに〜となる。

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  • 夢オチに言及するなら色彩にも注目したい。この物語は不気味な夕焼けの

天の円屋根の大部分を占める羽毛は灰色で、ところどころ、いとも不思議な菫色と藤色、この世のものとは思われぬようなピンクや薄緑色に染まっていたが〔…〕

と不吉で毒々しい情景の描写から始まり、

夜は明けて、万物が清澄かつ臆病な色彩をまとった——あたかも自然が黄色や薔薇色を初めて使ってみたかのように。

と清々しい終わりを迎える。どちらも色が強調されている。これも夢オチ説を補強しそう。夢に色がつくようになったのはカラーテレビの普及後だという話をどこかで聞いた気がする。つまり初めと終わりだけが色のついた現実であり、それ以外は色のない夢だったのだ、みたいな。