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クリストフ・コッホ『意識をめぐる冒険』感想

「意識がどのようなものであれ、それがどのように脳から生じてくるものであろうと、犬や鳥をはじめとするほぼすべての動物が意識を持っている」

はじめに

意識に関する研究を行っている神経科学者による本。原題は"CONSCIOUSNESS Confessions of a Romantic Reductionist"(意識——ロマン派還元主義者の告白)。単なる一般向けの科学書ではなく、著者自身の人生観や信念が語られ、自由意志や信仰といったところまで深入りする点が特徴的。意識を定量的に扱うための理論である、統合情報理論にも触れている(この理論もまだ萌芽的で賛否両論あるらしい)。科学と哲学、宗教の狭間、神経科学の研究の最前線といろんな意味でフロンティア精神に溢れていて、面白く読めた。題名にあるように、いまだ意識についてはわかっていることの方が少ない。この本はまさしくその冒険に連れて行ってくれる。

最初の二章は著者の意識観について。続く四章で意識について今のところ分かっていること(と著者の仮説)について触れ、最後の四章はかなり論争的な分野(自由意志、統合情報理論、科学と宗教)に踏み込む。

個人的な興味から、自由意志の章(第7章)について書く。

自由意志?

自由意志について、哲学的な自由意志、社会通念状の自由意志、物理的な自由意志、そして生物、神経科学的な自由意志の4つのタイプに分類して議論している。

まず、デカルトのいう「強い自由意志」について。これは「全く同じ環境において、別のやり方で行動できるのであれば、あなたは自由である」というものである。「全く同じ環境」は外的な条件、脳の状態を含む全ての物理的条件が同じ環境を指す。もちろん、これは今のところ分かっている物理学と極めて相性が悪い。「全く同じ環境」から別の結果が導かれるのは今のところ量子力学だけで、筆者によれば今のところ神経系に量子的効果が効くような例はないらしいので、これは存在する望みが薄い。

次に、社会通念上の自由意志がある。筆者は「もしあなたが自分のやりたいように、やりたいことができるならば、あなたは自由である」と定義して、両立主義と呼んでいる。決定論と矛盾しないからだ。これはより現実的で、大抵の場合、この定義が採用される(例えば法廷では責任能力とかいう謎の概念が使われる)。ただしこの定義は曖昧さを含んでいるように思う。特に、「やりたいように」や「やりたいことができる」といった表現はどのように解釈されるのだろう。可能/不可能といった表現は決定論の世界では無意味に思える。ただ一つの時間発展だけが実現し、それ以外は実現しないことが決まっているとき、「やる」ことと「やることができる」は同じじゃないだろうか?

そして、物理的に自由意志を論じる。まずカオス理論について触れるがこれは蛇足だろう。予測不可能であることは決定論と完全に両立する。そこで量子力学を持ち出すが、神経系でそれが働く望みは薄い。さらに言えば、量子力学の働きがあったとしても、それで自分が自分をコントロールするという自由意志があることにはならない。

そこで「観測問題」を持ち出してくる。筆者は意識が量子現象に干渉できる、どれが実際に起こるのかが決定されるためには意識ある人間が観測する必要があるという仮説のことを指してこの語を用いているがこれは不適切に思える。私が知っている「観測問題」の一つの形は「観測」はいつ起こるのか、というものだ。量子力学はデコヒーレンス(例えば観測によって状態が一つに定まること)が古典力学量子力学の間のどこかのスケールで起こるというモデルが一般的だが、これがどの段階で起こるのか、ということが問題になる。光子の量子的振る舞いは光子検出器が光子を検出したら観測になるのか、それともそれを人間が観測したら観測になるのか。あるいはさらに系を広げれば「ウィグナーの友人」という形で、観測者が二人いた時、一方が量子系とエンタングルして見えるとか、そういうのもある。なんかただの情報理論だという話も聞いたことがある。話がとっちらかってきた。とにかく、ここでの「観測問題」の使われ方は通常の意味とは違っていて、私はそのような使われ方はSFの中でしか見たことがないということが言いたかった。

筆者の言う「観測問題」に話を戻す。ペンローズの量子脳理論。もちろん脳は(プランク定数から見て)高温だし外界と相互作用しすぎているため神経細胞内でそんなことは起きないだろうという論調。量子情報は意識とは関係ない。次にカール・ポパーとジョン・エルクスの魂を持ち出す。非物質的な魂が物質的なシナプスに働きかけて自由意志が成立するとする説。著者は2つの論点で反駁する。エネルギー保存則からそのような仕事はできない。魂が非物質的なら物理的世界と相互作用することはできない。

もし意識が、魂のように、物質的な基盤のまったくないフワフワしたものならば、物理的世界と相互作用することはできない。見えないし、聞こえないし、触れて感じることもできない。非物質の魂は、物質である脳に何か働きかけることができない。

最後に神経科学的な実験から「自由意志は錯覚である」という話をする。脳の準備電位が意識に先んじて現れるというリベットの有名な実験。意思決定という意識現象のタイミングとその決定に関わる準備電位のタイミングを比較する。準備電位は意識の決定より500ミリ秒以上先行していた。著者は一つのシナリオとして、運動皮質も「自己主体感」を生み出す皮質も同一の起源となるニューロンから信号を受け取る(二者の間に主従関係がない)というものを紹介している。私はこの実験についてずっと勘違いしていて、行動と準備電位の間隔を測っているのだと思っていたが、工夫によって意識の主観的タイミングをちゃんと報告できる仕組みになっていた。こういう実験を考える人はすごいし、えらいなあと思いました。似たような実験でマウスが勝手に動いても自分が動かしたと思うみたいなのもあった気がする。

これらの実験から、意図、自己主体感、所有者感覚の3つの要素を取り上げて、完全には相関していないという。普通に感じる意識は自己主体感から生じる。これを雷とその音と光に喩えている。わかりやすい比喩。

面白かったこと

  • ヌード写真の実験。意識に上らない(高次視覚野が反応しない)場合でも注意を向けている。
  • 一次視覚野は意識の形成に影響しないかもしれない。
    • 意識におけるサッカード運動の消失
    • 意識のおける盲点や視野の限界の消失
    • 夢の色覚
      • これらは一次視覚野の働きではない。
  • 意識に影響する脳の部位について。
    • 意識は脳全体の働きから生まれるのか?あるいは意識を司る部位があるのか?
      • いくつかの意識の働きは特定の部位と密接に関連している。
        • 相貌失認、カプグラ症候群、色盲(achromatopsia)、運動盲(akinetopsia)。
        • 脳梁と両球の情報伝達。脳梁が切断されると一方の半球から他方に情報が伝わらない。
  • 無意識が支配する行動を意識的にやろうとするとパフォーマンスが悪くなる。
    • 楽器の演奏とかは確かにそう言う感じがある。
  • ライミング効果。広告とかで使われるやつ。
  • 量子的ランダムネスをカオス的ランダムネスで増幅して利用する神経回路があるかもしれない(その方が競争において敵にパターンを読まれないので進化的に有利)ということ。
  • 意識は創発的か。つまり、ある程度の複雑さこそが意識の十分条件か。
  • トノーニの統合情報理論とφ。意識を持つシステムは十分な情報量を持ち、かつ、それを統合している。
    • システム全体の情報量 - 構成部分が独立に生み出す情報量 と言っている。
    • φの定義:https://www.riken.jp/press/2016/20161207_1/
      • KL-divergenceを使っている。本文中でもネットワークによる情報利得っぽいことを言っているのでそうらしい。
    • 高いφをもつシステムはデータを結びつけて行動計画を立てられるので進化的に有利だったかもしれない。
    • φの存在は汎心論を含意する。ただし大抵の物のφは非常に低いはず。
      • インターネットは意識を持つか?
  • ニューロンのネットワーク。
    • 意識を生み出すであろう大脳皮質のピラミダル・ニューロンはワッツストロガッツモデルに従うらしい。
    • 小脳は独立性が高い。
  • 無意識について。無意識も複雑な情報処理をしている。これは情報の統合なしに起こりうるか?
  • 情報統合理論は外部との関係や脳機能の説明に弱い。まだ未熟な理論で誤りがあるかもしれないとしている。
  • 物理主義の限界。性質二元論。
    • 個人的には物理で説明に限界があるとは認めるが、意識は物理の範疇にあると思う。素人の感覚です。

気になったこと

  • 著者はクオリアを存在するとしながら、それは完全に主観的で観測できないと述べている。そうだとすると科学的な方法ではその存在が証明できないように思える。

    私が感じる青のクオリアは私だけが直接経験できるもので、他人がそれを感じることはできないし、外部から測定することもできない、完全に主観的なものだ。一方で、青のクオリアを生み出す神経活動は、外部の観測者の誰もがアクセス可能であるという客観的な特性を持つ。

    • 意識はクオリアなしで(神経活動だけで)説明できるのではないだろうか?

    • 第3章でクオリアの経験を物理的に説明できる理論を求めていると書いているけど、どうするんだろう?

    • 第7章では自己主体感もクオリアとしている。

      自己主体感には、それ特有の意識される感じ、すなわちクオリアがある。皮質—視床回路によって引き起こされる、視覚や聴覚などの他の感覚意識に特有のクオリアがあるのと同じだ。

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おわりに

第10章は何の神経科学的実験も新しい学説も出てこないが、この章が一番見応えがある。宗教、科学、人間、動物、研究、自由意志について葛藤をする一人の人間の半生が自伝的に書かれているだけなのだけど。みんな悩むんだなあって思いました。