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感想を書く。SF、ミステリ、それ以外について。

スタニスワフ・レム『完全な真空』感想

「文学はこれまで、架空の登場人物について語ってきた。我々はその先に進もう。つまり、架空の書物のことを書くのである。これこそ、想像の自由を回復するチャンスであり、それと同時に我々は、二つの相反する精神——すなわち作家の精神と批評家の精神——を結び合わせることができるわけだ。」

読んだ。

国書刊行会河出書房新社から出ている。自分は国書刊行会の方を読んだが、違いがあるのかは知らない。訳者は同じなので多分同じ。後者の方は2020年に出ているのでかなり最近だ。

架空の書物に対する架空の書評。『完全な真空』の題が意味する通り。また、評される存在しない書物たちもこの題名に従って、「存在しないこと」について書かれているように見える。「ポスト・ボルヘス」的だと表されているがボルヘスを読んだことがないので分からない。レムの衒学的で博覧強記な印象が強調されている。メタフィクションの金字塔。

題名についてもう少し書くと、「完全な真空」というもの自体が存在しないことはレムの博識さから、おそらく意図的のことだと思われる。「完全な円」は技術的に作り得ない。そこで真円度という指標が使われる。一方、真空度という指標もある。この指標の存在が意味するのは、真空にも完全なものと不完全なものがあるということだ。原子一つ存在しない空間を技術的に作り出すことはできない(十分な真空度があるならどこか微小な空間を指して、「あそこは真空です」ということはできるかも知れない)。これは自然についても成り立つ。たとえば宇宙に3K背景放射があるということは星々の間の空間にも熱エネルギーを持つ何かが存在するということになる。『完全な真空』の題は二重の意味で何もないものを意味するのだ。多分。でも「完全な」ってつけるくらいだし意図してたと思うよ。

話が逸れた。本についての説明に戻ると、ただの要約集としてみても面白い。架空の本についての書評なので、その内容に触れないわけにはいかない(そうしなければ書評の意味がわからなくなる。それが参照せよと言う本が存在しないのだから。普通の書評であれば参照先が実在するからあらすじに触れる必要はない)。この点で、要約だけをまとめた短編集としても読める。存在しなくていいので、物理的矛盾、技術的困難、社会的制約から解放された物語の一番面白いところだけを楽しめる。

書評について感想を書く。

完全な真空

  • 一番初めの書評が自己言及から始まる。これが今読んでいる『完全な真空』についての書評なのか、それとも今読んでいるのとは別の『完全な真空』という架空の書物についての書評なのか混乱する。
  • 書評の中では本書にはない序文や作品名に触れているので後者が適切な解釈だと思う(あるいは前者が正しく、序文というのもこの書評のことで、ここでも自己言及的なのかもしれないけど)。
    • 一方で『完全な真空』に書かれている書評がどのような性質のものかも述べている。この書評についての書評は存在する『完全な真空』とある程度合致する。そのため、難解なこの本についてのある程度の解説になっている。
      • ただし、これが実在の本について書かれているのか、架空の本について書かれているのか、書かれていることは本当のことなのか、嘘なのかは曖昧にされているので、この書評はこの本を解釈する手がかりとしては不確かすぎる。この効果でテクストの解釈が多義的で豊かになるのかもしれない。今、適当なことを言いました。
      • 手がかりになりそうなのは、この書評が3つの性格を持つというところで、
        1. パロディ、パスティーシュヌーヴォー・ロマンの風刺。
        2. なんらかの長編の要約。
        3. 実現し得ないアイデアの表現方法としての架空の書評。
      • というのは確かにこの本を言い表していると思う。
  • メタらしさに溢れているこの本を端的に象徴している。

ロビンソン物語

  • ロビンソン漂流記のオマージュ作品、『ロビンソン物語』に対する書評。
  • 島に漂流し、孤独になった男セルジュ・Nがロビンソンを名乗り、想像上の執事、女中、その周りの人々、世界を次々に作り出していく物語。
    • 面白そう。
    • 想像力を駆使して創造主になるためには絶対に想像を否定できないという指摘が鋭い。なんでもできそうに思える想像の世界に課せられた制約。
  • 翻訳がすごい。

『カイブツ』から『カ』と『ツ』を取り去れば、残るのは『イブ』だけとなるのだ。その際、このイブに対してアダムとなるのは、もちろん、ロビンソンである。

ギガメシュ

  • バカ書評もの。この架空書評集は全部そうなのだけど、これは突出している。かなり笑える。
  • 物語の構造はジェイムズ・ジョイスフィネガンズ・ウェイク』のオマージュで、膨大な解釈を提示するようなテクストを作者が全部解説してしまったら?という発想。
    • 本編395ページに対して解説847ページらしい。田崎熱力学か?
  • 書評のこじつけがすごい。ソーカル論文か?

性爆発

名も知れぬ老人が雪をかき分け、雪に埋もれた自動車の車体につきあたりながら、ひっそりと静まりかえった高層ビルの一つにたどりつき、体の温もりの名残で温められた鍵を懐から取り出し、鉄の門を開けて地下室に降りて行く。そして、老人のたったこれだけの彷徨と、そこに挿入された回想の断片が、すでに長編小説全体を成している、というわけである。

  • あらすじだけみるとニコルソン・ベイカー『中二階』っぽい。実際は全く違った。セックスにまつわる技術が発達した結果、それがなくなった世界。SF的。

  • この話から読みやすくなってくる。

  • 書評というよりあらすじに近い。

親衛隊少将ルイ16世

  • ナチス親衛隊の少将がドル紙幣をトランクに詰めてジャングルに行き、そこでまやかしの18世紀フランス王国を作り出す話。
  • 「ロビンソン物語」は一人の男の想像による世界だが、こちらはその上に多くの人々が自分の想像を重ねて作られた世界についての話になっている。
  • 一人の男の嘘に乗っかり誰もが自分に都合のいい嘘を重ねていくことでこの薄っぺらい欺瞞に満ちた王国から抜け出せなくなっていく。かくして、この王国の上では本当の政治闘争が起こる。
    • 嘘の始まりがドル紙幣だというのも面白い。不換紙幣もまたその根拠を持たない物語をその経済の参加者が信じることで価値が生まれる。
      • 結局ドル紙幣は全て使い果たされ、残っていたのは偽造紙幣だけという二重の嘘の構造はこの王国の成立と構造の相似になっている。

とどのつまりは何も無し

これは、書くことの可能性の限界に達した最初の小説でもある。

  • 文学について論ずる書評。正確には、文学について論じさせるようなテーマを持った架空の本に対する架空の書評。

作家は読者を説得しようとする。しかし、これは遊びに過ぎない。数学を成長させる、あの素晴らしい束縛はここにはない。完全な自由とは、文学の完全な麻痺なのである。

  • テクストは文脈(コンテクスト)の中で読まれるということについて触れている。これ進研ゼミでやったやつだ。

この題はいったい何だろう?とどのつまりが何も無いとは?何のとどのつまりなのか?もちろん、文学のとどのつまりである。文学にとって、誠実であること、つまり、嘘をつかないということは、存在をやめるのと同じである。

  • この小説は「列車は着かなかった」から始まり、どんどん一般的なものを否定していくらしい。全てを否定して書くことによってその事実に誠実であろうとする。
    • この小説が「何も書かない」結果、その解釈は全て読者に委ねられる。そして読者が読み取るものは読者の中から投影されたものでしかない。
    • そして、その否定は最後には言語そのものに行きいて、自己否定に終わる。
      • 正直、理解したとは言い難いです。
  • この本の中ではかなり書評っぽいことを語っている書評。ヌーヴォー・ロマンらしさに溢れているがそれを否定する書評だと思う。それが最後に行き着くのはこういうところですよ、みたいな。

逆黙示録

  • 商品が過剰に生産され、消費される社会。
    • なにかしら創造的な仕事をする人はペナルティを受けるため、真に利他的で才能のある作者による作品しか残らないようにする、と言う逆転が面白かった。
      • 理屈はどこにでもくっつく。

白痴

  • 文体が特徴的。全部書評子は別人の設定だと思うが、これと「完全な真空」は特に違いが目立つ。レーモン・クノー『文体練習』的な。

  • 白痴の子供を持つ両親がその行動を正当化して行く話らしい。

    • 本来は意味のない、あるいは悪意のある行為に対して、子供に対する献身的な愛情から積極的に独創的曲解を行う。
  • 信仰することによって得られる自由についても触れている。誰でも思いつくことか。

    人間は誰でも発狂し得るものだ、なんてのは嘘っぱちですよね。そうじゃなくって、人間は誰でも、信じることができる。

あなたでも本が作れます

  • 古典的名作をごた混ぜにして新しい文を作る機械。
    • アシモフの「いつの日か」に出てきたバードみたい。
    • 問題になるのはポルノ的作品が生まれる点。
      • 二次創作のことですか?
  • 普通の読者は古典的名作も三流小説の区別もつかないよね、と言う皮肉。
    • 確かに〜。

イサカのオデュッセウス

  • 天才を生前に評価される者、死後に評価される者、決して評価されない者の3種類に分け、最後の種類の天才を探す男の話。

    第一級の天才は決して——生きている時も、死んでからも——誰にも知られることがない。なぜならば、彼らはあまりにも前代未聞の真実を作り出し、あまりにも革命的な提案をもたらすので、彼らを理解することなど誰にも絶対できないからである。

    • 誰にも理解できないものがどうして優れていると理解できるのだろう?それは形容矛盾に聞こえる。
  • しかし、最終的にその天才の遺稿が見つかる。それは今ある歴史、体系とは全く独立していて、そのような天才を見逃すことで、「自分自身のもう一つの歴史」を失うのだ。そういうSFありそう。

てめえ

小説は作者の中へと後退しつつある。

  • 本を書くことの不可避な売春性について。読者について語り、読者を殴り付ける試み。
  • 作者と読者の約束がある以上、その売春性に対抗する唯一の手段は沈黙であると述べ、「てめえ」の企ては失敗だとしている。もちろん、実際に沈黙すれば伝えられないので、このように架空の本を作り上げて書評という形で実現させている。
  • 架空であることの利点を生かしていて良いと思いました。

ビーイング株式会社

  • 全てがある企業たちのコンピュータで決められた通りに動く社会。
    • フツー。でも独占禁止法が働いて企業同士の争いになるとかは面白そう。
    • 犬やカナリアまで雇っているらしい。笑った。
    • これはまあ、普通に書けたのでは?と思わなくもない。
      • 芸術は長く、人生は短い。「完全な真空」で挙げられている2番に当てはまる作品。

誤謬としての文化

  • 「適応の観点からは無意味な行動の定着」が文化とする説に対する反駁する。

    • 文化は適応の道具とする説。

    苦痛が耐え難いですって?そりゃそうでしょう、でも苦痛のおかげで人間は高められ、救済されもしようというものですからね。命が短いですって?そうでしょうとも、でもあの世の暮らしが永遠に続きます。〔…〕

    〔…〕プロセスが続いてきたのだ。このプロセスとは、与えられた条件を——それが貧しく、魅力もなく、悩ましく、生理的でたらめなものであるにもかかわらず——愛するようになるために、何世紀にもわたって続いてきた膨大な努力に他ならない。

    • 文化というのは事実上偶然の産物でしかないマイナスをプラスに変えられる道具であると論じている。
  • しかし科学技術はどうだろう?科学技術がそれらを物質的に実現すれば文化は無用の長物になる。

    • 文化は捨てられるのだろうか?人間は文化にしがみつく。それこそがいままで自分を救ってくれたからであり、それを疑うことはできない。
  • 一番自分好みの作品かもしれない。SFで書いて欲しい。

    自己保存活動の展開を促す信号としての苦痛を感ずる器官が、進化の結果、生きとし生けるもの全てにおいて著しく発展したのである。他方、「公平に」このような事態の釣り合いをとり、快楽と喜びのための期間を同じようにたくさん生物に付け加えるべき進化上の理由は全くなかった。

    • ここで窒息や渇きの苦痛と呼吸と飲食の満足の非対称性を述べている。
      • 確かに呼吸してて嬉しいってなったことないなあ。

    人間が現在置かれている状態は、進化の過程が人間に押した烙印のようなものであり、これは、われわれが最悪の犯罪者に押す烙印より酷いものだった。かりに、全世界がこのような現状に対して相も変わらず賛同の意を表明し続けていようとも、私は絶対に賛成などしない。

    • 私も絶対に賛成などしないぜ。
  • 最後は科学技術も万能じゃないよ、で終わる。それはそうだね。

生の不可能性について/予知の不可能性について

  • よくある人間の誕生の確率についての話。バカ書評2。
    • B・コウスカ教授の論文の書評。
      • 確率論が虚偽であるか、人間のような生命が存在しないかのいずれかであると言い出す。
      • 極めて丁寧に予知が難しいことを教えてくれる。
        • 書評より、自明なことを延々と証明しようとする論文の方がバカっぽい。
        • B・コウスカ氏生誕までのあらゆる偶然と波乱万丈が語られる。最後にこの大河ドラマが本筋であることを明かしている。やっぱりバカ書評じゃないか。これも面白かった。
  • 一応書いておくと、物理学を考慮に入れる(量子力学は無視する)なら全ては決定論的に進むのであらゆる過程について確率を考える必要はない。一方でもし量子的効果が効いて膨大な量子サイコロをふったとしても、1111…1が出る確率は無秩序に見える5534…9がでる確率と全く等しい。宝くじが当たってからその確率の低さについて悩むのは馬鹿げている。その点で、起こったことの確率を計算するのはナンセンスだ。あるいは、確率論は情報の不足から生じると考えれば、どれだけ情報を持つかで確率は変わる。過去についての全ての情報(これは初期条件に相当する)を持ち、十分な計算資源があれば妥当な確率の計算(あるいは予言)ができるはずだ。

我は僕ならずや

  • コンピューターの中で人工生命を進化させることの是非について。
    • グレッグ・イーガン「クリスタルの夜」っぽい。かなり似ている。
      • パスカルの賭けから始まる弁神論で神の全能性とかにも触れている。イーガンも少し触れるけどこの書評ではこちらがメイン。
      • イーガンの方が面白いのは後出しなので仕方ない。

新しい宇宙創造説

  • めちゃくちゃ発達した文明が宇宙の物理法則を作っているのだという本。
  • グレッグ・イーガン「ルミナス」「暗黒整数」に似ている。こちらは数学だけど。
  • 理屈づけが面白い。光速の有限性、時間の流れの非対称性(こちらはちょっと怪しい)、なぜ文明が見つからないのか、なぜ文明はコンタクトをとってこないのかを絡めて宇宙創造説を補強している。
  • SFにすればかなり面白そう。物理定数の揺らぎとか高エネルギー物理学における異なった物理法則とか。

その他

  • ヌーヴォー・ロマンという言葉を初めて見た。
  • 書評子という言葉を初めて見た。
  • とても面白かった。