町田康『ゴランノスポン』感想
それぞれがそれぞれとしてそこにある。それこそが素晴らしい。空が美しい。感謝。
読んだ。荒川洋治が激賞していたので。実際面白い。
楠木正成
楠木正成に想いを馳せる主人公がいつの間にか鎌倉時代に落っこちて本人と話をするに至る。本筋は楠木正成と鎌倉時代の講釈がほとんどなのだけど、語り口が軽妙で結構読ませる。歴史上の偉人をスポーツ選手のヒーローインタビュー風に紹介したり。時折挟まれる奇声であったり。この短編集の中では「末摘花」に似ている。古典を現代風にして、ひょうきんな語り口で語るあたりが。
ゴランノスポン
ゴランノスポンとはテレビの「ご覧のスポンサーの……」から取られたらしい。主人公は売れないミュージシャン。最初のページから人格の薄っぺらさが漂ってくる。いい感じ。感謝。素晴らしい。ありがとう。詐欺の受け子で捕まった21歳の男のニュースを思い出した。 忘れているだろうから彼のメモの内容を書いておくと、こんな感じだ。
全てうまくいく お金持になる 良い環境になる きれいな家に住む 一生捕らない 有名ホストになる めんどくさい事はすべてなくなる であう人すべて良い人 東京に出るともっと有名、お金持ちになる ぶりもてる やらりたい事やるだけ くそデカイ男になる(中身) あきらめんな マイナス思考をなくせ
読んでいて「感謝」とか「いい感じ」とか出てくるたびにこれが頭を過るのであんまり集中できなかった。町田康だってカリカチュアとして書いただろうに、世界は広い(こんな造形の人が実在するなんて、信じられますか?)。
小説の話に戻ると、こちらもかなりすごい(現実と小説を比べるときに現実に圧倒されることってあるんだね)。バイトを休む。成長。太陽のような音楽。アドバイスがある。感謝。こんな向こう側が透かせそうな人格が今まであっただろうか。ひどすぎる。ここから薄っぺらさは仲間内のムードに広がり、葬式のひどい見世物すら乗り切る。しかし火葬場への道、ここで叙述は加速し、膨張し、爆発する。
金さえあればこんな馬鹿で貧乏な奴らと口先だけで、サイコー、サイコーつって生きてねぇで、本当に最高なリゾートにでもいってシャンパン飲んでがんがんにきめきめでウハウハなんだよ、馬鹿野郎。
この鬱屈よ!そして破局よ!私は素晴らしいと思った。いい感じじゃないですか。もちろん彼の人格は薄っぺらくなどなく、折積もった鬱憤なり不安なりがあるわけじゃあないですか。それがラストで爆発する。
これをふくむこっから4つは(日本の)生活とか日常の歪みを描く短編になっている。そういうことで。
一般の魔力
この話は家、ホームセンター、山、家の四場面から成る。ある場面で
「僕はどんなときでも、自分が最も快適な状況というのを追求するんだよ。そのためには他人を押し除けることだってあるかも知れない。それをエゴイズムといえばそうかも知れない。けど人生っていうのはしょせん競争なんだよ。ベストポジションの取り合いなんだよ。なにも買った自分を卑下することhないんだよ。僕はそういうふうにいつでも快適なベストポジションをとれるように機敏に動ける自分、というのをむしろ感動的に受けとめてる。自分をいい奴だと思ってる」
という。これが基本軸だ。
薄田併義という人物、とその妻葵子が生活する(あと娘がいる)だけの話なのだけど、この主人公は前作とは別方向に歪んでいる。そのことがわかる最初の描写は「どすどす階段を下りていった」だろう。まだ忘れている?それからはこうだ。隣人の猫が、雑草が、ペットボトルがムカつく。と思ったらペットボトルは自分で置いたものだった。結局雑草(他人の庭に生えている)には除草剤をかけ、ペットボトルはゴミ集積所(回収日でない)に捨てる。
ホームセンターに行くと……これでは記述が長くなるか。とにかく利己的で嫉妬と傲慢に溢れている。あらゆる些細な問題にこだわり、自分が勝利しないと気が済まないのだ。ぶつかりおじさんにもなる。
それで除草剤のせいで猫が死ぬ(自分に庭で。むかつく!)。だから高速にのって山に捨ててくる。ここでも前述の通りの行動を行う。自分が見捨てた子犬を新聞の投書欄に書いたりする。完全にサイコやろうですね。
が、最後の瞬間、「女性の死体」が見つかるという非日常のニュース。普段ならない電話がなる。娘の死を暗示する終わり方だ。このオチはやや唐突で、これでスッキリ、とはならんくない?と思う。
主人公の造形に嫌悪を抱くのは普通だ。そのはずだ。少なくとも私は嫌悪を抱いた。それは、彼の中にある浅ましさ、みみっちしさが自分の中にもあることを知っているからだ。
二倍
バイトをしていた小川雄大。彼は元同期の南野に声をかけられ、典型的な登り調子の会社のオフィスビルで働くことになる。そこでの仕事は雑用だったり「送魂機」の開発であったりする。ん? 雑用をやらされる。正社員しかいないからだ。それでミスをする。大御所の先生に送る資料を手渡ししなかったのだ。それで大混乱になる。みんな大騒ぎする。主人公も大騒ぎする。なぜ騒ぐのか。ここは「演技会社」だからなのだ。
演技会社。すなわち、ウィヴビーンの業務はすべて架空の、実際には存在しないものであるということである。
演技通り、主人公はクビになる。で、文字通りクビになる。会社を放り出されるのだ。最後にこの虚構の世界に一言吐き捨てて現実に戻る。しかし彼の足取りは暗い。
虚業への批判ともとれる。実際私もコンサル会社ってなんなんだ、と思わなかったといえば嘘になる。たっぷり稼ぐガファよー。あるいはもっと広く、なぜ社会がうまくいっているのかとう謎をあつかったのかもしれない。バチガルピ「第六ポンプ」みたいに。
尻の泉
尻から聖水が出てくる。文字通り。そうなった男の話。まず設定が飛び抜けている。体から聖水が出るというブームがあり、主人公は尻から出ていた。なるほど。でも尻だからどうしようもない。紆余曲折あり、主人公の尻の泉は停止し、復活する。ジェイソンか?なんらかのメタファーととることはできそうで、尻の泉の復活は明るい未来に繋がっているのかもしれない。
末摘花
源氏物語の「末摘花」を町田訳したもの。元ネタとも微妙な差異があるようで、興味があれば調べるのもいいんじゃないでしょうか。とにかくはっちゃけてますね、という感じ。
先生との旅
意味深な会話。意味深な儀式。意味深な豚足。狸に化かされるような話なのだが、チグハグコントみたいになっている。タクシーに乗ってからの叙述の変わりようがすごいよね。この異様さの雰囲気をそのまま写しとった文体になっていて、小説におけるスタイルの重要さを見せつけられた。
一目見ただけでそのユニークさがわかる。リズムがあって、軽快で、独特な一人称形式の文体。スラップスティック的な展開。常にテンションが高い。後書きに「町田的」という表現があったが、確かにそんな表現ができるくらいに文体のキャラが立っている。作者とは文体であるという言葉がこれ以上適切な作者はいないだろう。
この短編集では生活の中に潜む人間の歪みを抉り取る作品が多かった。文体は軽快で300ページ弱の本なのだけど口調も内容も濃いため、ちょっと気疲れしてしまう。しかし面白いことには面白い。毎日は食べられないが月に一回くらい食べると美味しい、みたいな。とんこつラーメン?