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感想を書く。SF、ミステリ、それ以外について。

カート・ヴォネガット『青ひげ』感想

「人生のすべてがジョークなのさ」とわたしは答えた。「知らないのか?」

読んだ。

軽快な文体。スラップスティック調の語り口。作品全体に渡ってとぼけたユーモアと皮肉に溢れている。村上春樹の文体がヴォネガットのそれに影響を受けているという話は聞いたことがあるが、村上作品をそんなに読んだことがなかった。

お一人さまに戦争が一つずつ。

物語は退役軍人かつ元画家の自伝の形で進む。自伝といっても自伝による回想と自伝を書いている現在を行き来しながらの語りで、自伝と日記のあいのこみたいになっている。ヴォネガットはこういう調子で書くらしい。

話は淡々と進み、自分の来歴、父母の来歴、ニューヨークに上京したこと、そこで著名な画家のもとで絵を描いていたこと、戦争にいったこと、一つ一つの出来事が順々に語られる。萎びきった老人であるラボーの決して幸せとはいえない苦難の歴史。彼の孤独な生活への闖入者であるバーマンの勧め(無理強い?)に従って描かれる記憶は虐殺、恐慌、戦争、自殺といった灰色の悲劇の連続だった。このあたりの戦争の記憶というのはヴォネガット自身の経験が色濃く出ている。

「あの中になにがあるか知りたいか?」 「ああ。きみが話したけりゃな」 「人間のあらゆるメッセージの中でも、いちばん空虚で、またいちばん充実したものだ」

伝記、日記なので筋らしい筋はないが、この老人が納屋のなかに隠しているものは何かという謎が物語の最後まで引っ張られる。それまでの暗く苦しい展開とは裏腹に、最後に明かされるものは人生への肯定、生きることへの肯定に満ちていて、そこには希望とカタルシスがある。作者自身の戦争への訣別の表意ともとれる感動的な一シーン。

どんなに小さくても、その絵の中のあらゆる人物には、それぞれが体験した戦争の物語がある。まずその物語をこしらえて、つぎにその体験をした人物を描いたのだ。

『青ひげ』を読んでいて、小説というのはエピソードの集合なのだということを思った。かなり当たり前のことだが今まで意識することがなかった。ヴォネガットの本を読んで、その簡潔な文体で語られることで初めてそのことに思いを馳せた気がする。あるいはこれは自伝なのだから、人生というものがエピソードの集合なのかもしれない。


私の人生の全てのエピソードは三行くらいにおさまるだろう。内容がないようで。