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サミュエル・R・ディレイニー「スター・ピット」感想

いいか、ぼうず、人間は成長するか、それとも死ぬかだ。そのどっちかを選ばなくちゃいけない。そいつは一生続くんだ。

読んだ。

星間飛行が可能になり、外宇宙への航海も可能になった未来の話。しかし外宇宙に普通の人間が行くと発狂して死んでしまう。一部の精神障害を持つ人々だけが外宇宙に行くことができ、彼らはゴールデンと呼ばれた。主人公は外の世界を切望しながら宇宙の片隅で修理工を続けている。

感想

序盤の主人公はアル中でかなりどうしようもない。それが元で家族からも追いやられた宇宙船技師。銀河系の辺境、スター・ピットに流れ着いて、ゴールデンだけが行ける外の世界を切望しながら、自分がいる世界から出ていくことはできないと諦観している。

ゴールデンは精神障害をもち、精神障害を持たない人々は銀河系に束縛されている自分の境遇を託つ、歪んだ社会。社会自体が精神病理に侵されていることは子供たちの境遇に現れている。ラトリットはあまりにも早熟で、アレグラは才能のためにドラッグ漬けにされて精神療医にされる。極め付けはアンで、人工的にゴールデンを作り出すために精神病を植え付けられている。銀河系を自由に行き来できるというスケールとは裏腹に、閉塞感が漂う話になっている。

銀河系宇宙を出ることができない主人公は外宇宙へ行けるゴールデンを羨み、妬んでいるが、ゴールデンは逆に銀河系外宇宙に束縛されている。彼らもまた自由ではない。

冒頭から登場する生体観察館(エコロガリウム)というモチーフが良く、物語上も重要な意味合いを持っている。エコロガリウムは一つの閉じた生態系をなす。最初に出てきたエコロガリウムは主人公によって壊され、ここに(作中で言われるように)ゴールデンでない人間である主人公の、自由への渇望が現れている。それは中盤でゴールデンもまた自由ではないと裏返しに変奏される。

もう一つのエコロガリウム、アンが持ってきた自己循環するエコロガリウムは、循環というこの物語のテーマをあからさまに示している。まずは、生物の営みは循環する。子供は成長して大人になり、大人は子供を産む、という構造。次にプロットの構造がある。主人公(非ゴールデンの代表)はゴールデンの自由を羨み、ゴールデンは別の宇宙に存在する生命体を畏怖し、主人公はその生命を恐怖させていた。という一つのオチがあり、主人公はその事実に大笑いする。

この笑いには二通りの解釈がある。まずは循環という閉じた系がどこまでも続いていて脱出することはできないという事実に気付いた、自棄になった自嘲としての笑いという解釈がある。閉鎖環境に閉じ込められているというのはこの物語を貫いている状況であるので、この閉塞が主題であるとすればこちらの解釈を取りたくなる。

もう一つには、単純に、自分がずっと望んでいた外の世界はまさに自分の手の届く場所(それも最初の場所!)にあったのだ、というオチに笑ったのだという解釈がある。エコロガリウムの破壊とナマケモノの消失から始まったこの物語はナマケモこそが外の世界の存在であると明かされ、エコロガリウムを首にかけた主人公のラストと綺麗な対称性がある。物質的な環境は変わらなくとも、主人公は自己の内面と向き合って成長し、それを受け入れている。個人的にはこちらの解釈の方が好きだ。希望があって。

主人公が断酒して真面目に働くというのは人格の陶冶であって、ゴールデンたちとは対極だ。これは(作中での)望ましい成長を示していると思う。ゴールデンや、彼らを駆り出している社会は外の世界へと進出していたり、ゴールデンを人工的に作り出すことにも成功している。これも一つ成長に見えるが、実際には循環である。いくら新しい知識や資源を手に入れても、人類はその資源をめぐって戦争を起こし、知識を使って星を消滅させる。この様子はまさにアンのエコロガリウムの中で、微生物が壁にぶつかって殺し合っているのと鏡写しだ。

物語の大部分はスター・ピットでの子供達(ラトリットとアレグラ、そしてアンドロクレス)についての話で占められている。しかしそれらは本題に辿り着く回り道だ。「スター・ピット」は70ページ近くある中編なのだが、そのオチと主題が最初の10ページでポンと出されているのだ。それからのスター・ピットでの出来事はその場所に戻ってくるための物語に過ぎない。しかしその回り道によって得られた気づきこそがまた成長であり、循環する構造を循環する物語が語っていて、そこから抜け出せないとしても生きていけるのだという夢のない、しかし地に足のついた希望がある。

物語について

  • はじめに主人公は外の世界への願望を見せ、酒に酔ってエコロガリウムを壊す。

    「なかに残らなくちゃいけない連中が、すごいつらい思いをするだろうからさ。つまり、しばらくするとね」

  • 主人公は酒癖の悪さから自分の生殖グループから追いやられる。
  • そこから年月が飛び、主人公は「銀河系のいちばん外縁」であるスター・ピットにたどり着き、酒をやめて宇宙船修理工を営んでいる。
  • 早熟な子供であるラトリットと稀有な才能のためにドラッグ漬けにされた子供であるアレグラ。彼らは外の世界に行けるゴールデンに憧れており、主人公も同じ。

    「いいから、それを三乗してみな、おやじ。おれはそれぐらい閉じこめられた気分なんだ!」

  • しかし子供達はゴールデンをめぐる事件に自ら巻き込まれて死んでしまう。
  • その後、サンディの義弟であるアンドロクレスが微生物のエコロガリウムを持って職を探しに訪れる。
  • エコロガリウムの中では微生物が壁にぶつかり、殺し合っている。

    遊離リン酸塩を放出し、壁とごっつんこするのにも飽きると、そいつらはおたがいに噛みつき、相手をばらばらに食いちぎった。

  • 酒場をはしごして、ポロスキーの格納庫へ行く。そこでエコロガリウムを壊そうとする。

    「こわしたい」 「どうしてよ、ヴァイム?」 なにかがのどにつっかえた。「どうしてって、おれは外に出たいからだ。〔…〕 おれはなにかをぶっこわして、外に出たい。そうとも、まるでガキみたいに〔…〕」

  • 最後にエコロガリウムを壊さず首にかけている。酒の酔いの中で笑いながら子供達のことを思う。

私的メモ

  • ゴールデンの性格の悪さ、主人公の酒癖の克服の対比。成長のテーマ。
  • 外の世界、ここではないどこかへの欲求と自己と向き合うことの対比。

    • サンディは内側に向かおうとするが、それもここではないどこか。
    • 主人公はスター・ピットへ定住し、酒を断って働いていた。
    • ラトリットとアレグラ。外の世界、現実ではない投射に溺れる早熟な子供たちは死んだ。
  • なぜサンディには「ゴールデンに似たところがある」のか?

前進しようとしているから。銀河の内側に向かう行動は外宇宙へ行くのと同じ、ここではないどこかに行こうとする願望がある。また、彼はゴールデンと結婚していて、義弟であるアンには後天的に精神病になるよう手を加えられている。これらの要素は成長を取り違えて外部への侵略こそを善とする価値観がある。しかし外部は有限であり、その試みの失敗は戦争や他者への危害となって現れる。ここではないどこかを望むのはないものねだりに過ぎず、子供らしい考えで、それらを忌避する主人公の心情がサンディをゴールデンに似ていると評させるのだろう。

人間には行けない方向ってものがいくつかある。自分が好きなだけ行ける方向をひとつ選べ。そういったのはサンディだったか?そうだ。だが、サンディにはなんだかゴールデンに似たところがある。やりかたなんかを気にせずに、どこまでも進んでいく。

  • 構造
    • エコロガリウムの自己循環のモチーフ
      • 銀河系に束縛された人類の閉塞感。それはゴールデンにも変奏して適用される。
      • 人類は銀河系に、ゴールデンは外宇宙に、ナマケモノはエコロガリウムに閉じ込められる循環。三すくみの構造になっている。ゴールデンであるアンがナマケモノを飼えるのはゴールデンだけだと自慢するところは笑いどころ?
      • 物語自体が、ラストに最初の地点に戻ってくる循環構造。序中盤では主人公は外宇宙にいけるゴールデンを妬み、終盤ではゴールデンは別の宇宙のナマケモノによって発狂してしまうことが明かされ、実は最初、主人公の家族が持つエコロガリウムナマケモノが閉じ込められていたという構図。主人公の成長も最初10ページくらいですぐに出てくる。
  • 分からないこと
    • 生殖は付随的、最も重要なことは生きること。生殖とは?
    • ラストシーン。なぜ主人公は酒を飲んだのか?
      • 循環? むしろ螺旋がモチーフかも。
        • 成長というテーマとはズレる。
      • 結局子供達もゴールデンもサイクルの中に囚われている。それを笑い飛ばすにはやはり自分も酒を飲んで元の自分に戻ることがふさわしいのではないか。

まだなかばへべれけのいやな気分だった。だが、おれは大声でわめいた。アンドロクレス、酔いどれの笑いは、俺の死んだ子供らぜんぶを悼むのにふさわしいか?たぶんふさわしくないだろう。だが、教えてくれ、ラトリット、教えてくれ、アレグラ。おれの生きた子供ら、ゴールデンである彼らを夜のなかに送りだすのに、これよりいい方法があるか?わからない。おれが笑ったことしかわからない。