橋本輝幸編『2010年代海外SF傑作選』感想
二〇一〇年代はSFがさらに拡散した時代だった。
2010年代に発表された海外SF短編のアンソロジー。初訳の短編が多いことがアピール点。表題作になっているような短編は除外したとある。その分これぞという作品は少ないが、全体的には面白かった。華文SFが多いあたりに2010年代らしさを感じる。
火炎病
視界に炎が見える奇病の話。
兄が火炎病にかかったために、その感覚を理解しようとする弟。ARによって視界を再現するというのは今風だと思った。話は直線的でARに拘る理由も弱い。オチもひねりがないのであまり心に響かなかった。普通かなあ。現代的ではある。
乾坤と亜力
遍在する人工知能が人間の子供から学ぶ話。乾坤はチェンクンと読む。
ロボットと人間の友情という古くからあるテーマを再構成。というかロボットをそのままAIに置き換えただけでは。それゆえ目新しいものはないが、子供の行動に「理解しがたい」評価をつける乾坤のすれ違いざまや二人が親友になる場面は王道の良さがある。古き良きロボットものと同じ異種間交流をやるのであれば、人工知能であることの特有さを掘り下げてほしかったが、過程を重視する亜力とデータベースに蓄えられた結果しか知らない乾坤の対比は情報化社会を反映していると言えそう。なんでもGoogleに聞く時代。
ロボットとカラスがイーストセントルイスを救った話
ロボットとカラスがイーストセントルイスを救った話。公衆衛生ロボットがカラスとコミュニケートして感染症の予兆を探る。
これもロボットとの友情ものだがロボットと人間ではなくロボットとカラスというのが面白い。人工知能の言語学的要素がカラスとのコミュニケーションに繋がっていて、現代的。公衆衛生ロボットのお仕事ものだが、社会福祉や市場原理の問題を公衆衛生という画に落とし込んでいて、政府の代わりに私企業がインフラを担っていたり、下層階級の人が医療を受けられなかったり、衛生ロボットの予算が打ち切られていたりと社会への眼差しもある。
内臓感覚
個人的にワッツは短編の方が好き。本作も例に漏れず面白い。皮肉とブラックユーモアに溢れている。
「偏光メッシュが鳥の磁気感覚か何かを狂わせるの。窓を不透明にしてると」 「エコフレンドリーな奇蹟の窓は鳥を殺すのか」
「内臓感覚」の原題は”Gut Feelings”で、直感という意味もある。
いつものピーター・ワッツ。SDGsやプライバシー保護と宣いながら正反対の方向へと進んで権力を拡大していく大企業に抱く反発の話。
「邪悪になるな」 「昔のグーグルのモットーよ」ハンコックが言った。「廃止されたけど」
ちなみに今は”Do the right thing”らしい。
グーグルの社員を半殺しにしたブルーワーカー。彼はグーグルのロゴを見ると怒りが抑えられなくなる症状にかかっていた。データを掌握した大企業はそこから全ての行動を予測する、ここまでは良くある設定だが、そこからさらに、トリガーに晒すことで行動を支配するテクノロジーまで進んだ世界を描き出すのが面白い。営利企業のイデアに踊らされる登場人物たち。みみっちい『エコープラクシア』っぽい。
核となるアイデアは腸内細菌叢。腸内環境は性格に影響を及ぼすという話は聞いたことがあるが、どれくらい影響力があるのだろうか。特定のロゴに反応させるまではいかないにしても。
プログラム可能物質の時代における飢餓の未来
プログラムに合わせて変形できるポリマーが広まった世界。主人公のオットーは同性愛者で同じく同性愛者のトレヴァーと一緒に暮らしている。パーティーの客として訪れたアーラヴがトレヴァーと関係を持つのを目撃したオットーは憎悪の感情を抱く。しかしポリマーの暴走によってニューヨークが壊滅し、それに巻き込まれたトレヴァーは命を落とす。オットーは失明したアーラヴと再開する。
愛憎の物語とポリマーの暴走がどう結びついているのかいまいち分からなかった。際限のない欲望が都市を滅ぼすという筋書きと同性愛はなんとなくソドムとゴモラを連想させる。でもやっぱり個人的な物語と都市の破壊が別々に起こっている感じは否めない。なんか読み違えてる気がする。
OPEN
言葉が存在する話。
これも良く分からない。円城塔っぽい。と思ったら訳が円城塔だった。なるほどね。
どこか演技的で外面を取り繕う生活に疑問を覚える生活。言葉で表されるものへ疑問、言葉で表し得ないものへの切望みたいなものがあるような、ないような。物語の外に飛び出すということなのだろうか? 語ることについて語る話は個人的に苦手だが、これは好みの問題。
良い狩りを
西洋化と工業化によって迫害されていく昔ながらの存在。妖も魔法も、それと対になる退治師もその姿を消していく。主人公は新しい世界に適応して技師となり、少女は新時代の妖になる。まさしく形を変えて生き延びるラストの転換が素晴らしい。
『紙の動物園』で読んだので再読。好き。
果てしない別れ
発作によって徐々に植物人間になる状態に陥った主人公が、知性を持つ蠕虫と融合する実験を提案される。蠕虫は人間と異なる感覚様式を持つ。主人公は蠕虫の走馬灯を追体験し、その感覚と記憶の不可思議さを理解する。
蠕虫の感覚と認知様式を書くというチャレンジングな試み。その理解不能さが感じられて良い。
アルツハイマーや異なる知的生命体といったモチーフを使って記憶と感覚の関係を描き出す。蠕虫の出会いが本当の意味での一期一会であり、あらゆる出会いが果てしない別れへ繋がることが心を打つ。主人公とその妻はアルツハイマーの時限爆弾を抱えて生きているが、 記憶を失って生きる生活が出会いと別れを繰り返すモチーフに重なる。
“ “
原題は“The.”。架空の生物についての架空の論文。ボルヘスやレムっぽい。〈無〉の生物についての説明が続くが、観測できるなら別に無ではないのでは、と思った。普通に生態系構築してるし。〈無〉ならではの性質みたいなのが欲しかった。個人的に。
ジャガンナート——世界の主
人間はマザーから生まれ、女は労働者になり、男は脳に行って働く。マザーの体内で生活するラクだったが、ある時からマザーに異変が起こり赤ん坊が正常に生まれなくなる。マザーは死に、ラクは外の世界に出る。
ハチのコロニーのような社会性動物として生活するようになった人間を描いた話。コロニーの奇妙な生態系が面白い。ハチそのまんまっぽいけど。
ソフトウェアオブジェクトのライフサイクル
テッド・チャンの中編。『息吹』で読んだので今回は割愛。プラットフォームのサービス終了や人工生命の倫理的問題に触れる思索的小説。個人的にはあまりハマらなかったが、それでもチャンの小説は巧みに問題を提示して読ませてくる。そのうち別に感想を書くかもしれない。