カルロ・ロヴェッリ『すごい物理学講義』感想
「この本で書いたことはすべて正しい」——わたしは、確信を持ってそう言えるだろうか?答えはもちろん、「いいえ」である。
読んだ。
タイトルの邦訳がちょっとひどいことになっている。 原題は"non è come ci appare"で英訳されたタイトルは"Reality Is Not What Is Seems"。deepLにかけてもそんな感じなのでこちらの方が元のタイトルに忠実。
話としては、物理の起源としてミレトスの哲学者から始まり、ニュートンの古典力学、アインシュタインの相対性理論、ボーア、ハイゼンベルグ、ディラック、その他の巨人たちによる量子力学の歴史が前半で説明される。後半ではその延長にあるものとして理論物理学の最前線、著者が研究しているループ量子重力理論についての話になる。
一般向けなのでほとんど数式は出てこない。出てきても、その詳細の説明はされない。その点で、物理の理解が深まるかと言うと、やっぱりちゃんと勉強しないと分からないなあという感じである。
リーマンの数学を理解し、アインシュタインの方程式を完璧に読み解く技術を会得するには、長く険しい道のりを超えていかなければならない。それは、熱意と努力を要する旅路である。とはいえ、ベートーヴェンの後期四重奏からどれか好きな曲を選び出し、その類まれな美しさを十全に把握しようと願うなら、それ以上の労苦を覚悟する必要があるだろう。いずれの場合も、いったん努力がなされたあとは、充分な見返りが待っている。
学問というのはそんなに簡単ではない。巨人の肩に立つだけでも一苦労だ。
この本は物理学的詳細や厳密な定義と議論よりも、むしろ直感的説明や物理学・哲学史に関わる人物たちのエピソードにスポットライトを当てて、その流れを見るスタイルである。古代の哲学者がその類稀なる直感力によって現代物理学の奥底と通底する考察を残していたり、美術作品と世界のあり方の共通点を挙げていたりするのは興味深い。ちょっと大げさに取り立てすぎじゃないかと言いたくなる気持ちもあるが、そう思う人のためには専門書があるから、これぐらいがちょうどいいのかもしれない。
個人的に面白かった・気になったのは以下。
- 空間は場の理論の量子で表すことができる。
- この帰結として、空間は量子化されており、有限である。
- デモクリトスの議論。点を無限に集めても線にはならない。
- 「概念上は」この議論は正しくないことを我々は知っている。それは中学校で習う時は数直線と呼ばれ、大学では実数の連続性とか非可算無限と呼ばれる。個々の実数は点だが、その集合は線になる。
- 量子重力理論(あるいは狭くループ量子重力理論かもしれない)が時間を変数に含まないこと。そうなんだ。
- 著者的には時間は熱力学あたりにあって、マクロなものらしい。素人目には穏当に見える(じゃあシュレディンガー方程式のtは何だよ?)。私の理解が間違っている可能性が高い。
- スピンネットワークの図でグレッグ・イーガン提供の模型の写真が出てきた(図7−4)。意外なところにイーガンが。
最後に、時代を超えた知識人のつながりとは別に、もう一つ本書で繰り返されていることに触れる。それは「ためらい」である。ニュートンも、アインシュタインも、自分の革命的理論を発表するときには、私が思うに、という控えめな態度をとった。ヘカタイオスの歴史書の(自分にすら)批判的思考も本書に引かれている。
「わたしはここに、自分にとって正しいと思えることを書いていく。というのも、ギリシア人の物語は」、矛盾や当てにならない記述に満ちているようにわたしには思えるから」
こうした批判的態度は広い意味での科学では最も重視される。現代的な科学観からアリストテレスの物理を嘲笑する態度は、現代の科学を絶対視しているという点で間違っている。例えば、あなたは地動説が正しい理由を説明できるだろうか?(楕)円軌道は分かりやすいが、分かりやすいものが正しいとは限らない。見かけの速度が光速をこえる星々がある?もちろんこれは光速より高速なものは存在しないという原理に基づいているので、マイケルソン・モーリーの実験から始まる議論を行う必要がある。
ループ量子重力理論にせよ、有望そうな理論の一つに過ぎず、間違っている可能性は大いにある(というか、その可能性の方が高い)。絶対に正しい答えはないにせよ、現時点で最良の答えを探す態度が重要なのだ。本書は時代を超えた科学的態度について教えてくれる。
科学が信用に値するのは、科学が「確実な答え」を教えてくれるからではなく、「現時点における最良の答え」を教えてくれるからである。