あかいねじ

感想を書く。SF、ミステリ、それ以外について。

ジーン・ウルフ『デス博士の島その他の物語』感想

だけど、また本を最初から読みはじめれば、みんな帰ってくるんだよ。

「デス博士の島その他の物語」を含むウルフ諸島三部作と「アメリカの七夜」、「眼閃の奇蹟」からなる短編集、「デス博士の島」とその他の物語ではなく、「デス博士の島その他の物語」と「その他の物語」であり、原題は"The Island of Doctor Death and Other Stories and Other Stories"になっている。ややこしい。

方々へのオマージュと引用があってその理解を前提にしている節があるのでそこがわからないと苦しい。翻訳ものはこういうのがきついですね。単純に私の読解力や読書量が足りていないというのは全くおっしゃる通り。

まえがき

「島の博士の死(Death of the Island Doctor)」という掌編が載っている。前書きを読んだ人へのささやかなプレゼントらしい。

デス博士の島その他の物語(The Island of Doctor Death and Other Stories)

大人たちが自分のことしか考えない家庭。その家庭で放置された孤独な少年の元に物語の登場人物が現れる。二人称の淡白な語りが少年の孤独と重なり合い、そこに現れるデス博士をはじめとした登場人物が愛おしい。もちろんデス博士は名前から想像される通りの悪役なのだが、結局のところ悪役も物語の切り離せない一部であって、孤独を癒してくれるものなのだ。

「きみだってそうなんだ、タッキー。まだ小さいから理解できないかもしれないが、きみだって同じなんだよ」

これは少年タッキーが、物語の終わりを見たくない、デス博士が死んでしまうから、と言った場面でデス博士が返した言葉である。この解釈の一つには、タッキー自身が「デス博士その他の物語」の登場人物であることを指しているメタ的な指摘のように取るというものがある。この時、二人称の語りはこの「タッキーの物語」の読者であるとするのが筋が良さそうだ。登場人物に語りかけられるタッキーと、登場人物であるタッキーに語りかける読者の対比。この語り手/読者は何者なのか。あとがきでは大人になったタッキーこそが二人称の語り手であると読めるといっている(若島正氏の作品ノートがあるらしいがURLは無効になっていた。ネット時代の文章の寿命は短い。とはいえSFマガジンの紙媒体では存在しているらしい)。確かに少年時代の自分を回想するというのは一つの物語を読む行為に相当する。

かなり幻想的な短編でどのようにも読めると思う。登場人物は主人公の想像かもしれないが、薬をやっている母親達の幻覚なのかもしれないし、語り手がそのように物語のなかにデス博士たちを挿入したのかもしれない。語り手は大人になったタッキーかもしれないし、別の人物かもしれないし、ただの神の視点かもしれない。語り手の語る「きみ」とはタッキーのことかもしれないし、本書の読者への呼びかけかもしれない。

物語は孤独を癒す。物語への愛が感じられる短編。

アイランド博士の死(The Death of Dr. Island)

精神・脳の治療を目的とした島で起こるSFとも幻想小説ともつかないフワフワした話。脳梁を切断した少年と家庭内で精神的虐待を受けている少女がアイランド博士なる制御システムが管理する島を探索する。そこでイグナシオという男と出会う。少女は殺され、少年は人格を失う。

精神科というものがあり、なぜあるかといえばそこに治療されるべき精神病患者がいるからだ。しかし、精神の何を「治療」するのか?

この問いは常に議論されていたが、いまだ決着はついていない。少年を導くアイランド博士はこういう。

「もしわたしが外の世界とちがっていたら、きみたちが外の世界へもどったとき、なんにもならないだろう?」

ここで言われる「治療」とは社会復帰であり、社会に迎合できる人間になることらしい。現代の精神科医療がどうかはともかく、一つの真理を行っているように見える。社会と個人の関係というのは基本的に敵対関係だと思うが、それを続けるには気力と体力が必要で、人はどこかで社会に「適応」する。しかしそうしなかった人たちもいて、彼らは磨耗した神経を持って精神科なり何処かなりにいくのだろう。

——しかし、彼女は死ぬことによって、ほかのだれか——ある非常に重要な人間——を治したのだよ。

ウルフ自身が「デス博士の島その他の物語」を反転させたと言っており、要素がポジとネガのように対応している。父親の不在に対してはイグナシオという人物が配置され、無関心ではなく能動的な脅威として物語の中に存在している。悪役であるデス博士が主人公に寄り添っていた前作に対し、助言をするアイランド博士は主人公の少年を排斥し、矯正しようとする社会の具現化であり、最後に死ぬのも博士ではなく主人公の人格の方である(タイトル詐欺)。管理主義的ディストピアが体現されていて、そこに物語と個人が密やかに結びつく余地はない。

インタビュー(WolfeWiki参照)によると - タッキーとニコラスの性格(良い子/悪い子) - デス博士とアイランド博士(悪役だが主人公に寄りそう/助言をするが主人公に危険を及ぼす) - 島(大西洋に実在する現実の島/架空の世界の人工的な島) という対比があるらしい。「死の島の博士」も同じ素材を使ったと書いてある。

死の島の博士(The Doctor of Death Island)

実はね、私は刑務所にいるんだ。永遠の生命があるのに、刑務所へほうりこまれている。

喋る本を開発したアランは殺人の廉で刑務所に入れられていた。発達した生命科学によってアランは永遠の命を手に入れていたがその全てを無機質な刑務所の中で費やしている。

話が飛び飛びになっていて掴みづらい。本人が書いた部分が挿入されていて、地の文と内容的に連続している。ディケンズの一節が度々流れを引き裂いて現れる私はディケンズを読んだことがないので意味はわからない。なぜディケンズの本が感染するのか。アランが恐れるマーゴット博士とは何者なのか。この話は一体何なのか。

アランに母親がいないことは「デス博士の島その他の物語」でタッキーに父親がいないことと鏡合わせだし刑務所は一種の陸の孤島である。最後には脱出しているあたり、前二編とは異なる結末を迎えている。

ウルフ諸島の話の中ではこれが一番難解だと思う。結局なんだったんだ。

並べ替えの組み合わせ的にはあとThe Island of Death DoctorとThe Doctor of Island Deathが残っている。「死の博士の島」と「デス島の博士」。

アメリカの七夜

最近はなぞなぞ的な話ばっかり読んでいる。次は『ドリフトグラス』を読むつもりだが「エンパイア・スター」だってそういう雰囲気がないとはいえない。ヒントは出したので読者の方で空白を埋めてね、みたいな。まあなぞなぞはなぞなぞで面白い。

行方不明になった男を捜索している探偵が見つけた日記という体で、文明が後退したアメリカを幻想的に描く。形を変えて繰り返される変わり果てたアメリカの隠喩とモチーフが良い。イスラム教とキリスト教の対比も雰囲気が出ている。いわゆる「信頼できない語り手」ものであり、矛盾する記述や幻覚の示唆、記述の欠落が存在することが明示されている。日記と言いながらもそれが誰かに読まれること明確に意識しており(特にヤースミーンへの言及がある)、真実は曖昧に隠されている。タイトルで「七夜」となっているのに日記には六日分の記述しかなかったりする(タイトル詐欺)。

これについては若島正の論があるらしいのでそれを読もうと思っている。物語中で言及される作品にあたるのもだるいので。今回は謎解きなしだ。個人的に触れておきたいのは手紙についていたライラックの香りで、というのも最近読んだチェスタトンの『木曜日だった男』でもライラックが出てきたからだ。『木曜日だった男』は副題に「一つの悪夢」とあるように、悪夢じみた不条理劇が展開するスラップスティックで、男が夢を見ていたという仄かしがある。些細な暗合だが全てが霧の中のように曖昧なこの話にはぴったりなモチーフではないだろうか。

この作品はフェアに書かれている(作品それだけの記述から何が起こったか読者が推論できる)という論もあったが、個人的にはむしろ読者に自由な解釈を任せているように見えるし、その方がこの短編集にみられる性格にも合っている気がする。もちろん推論はできるし、それは正しい解釈になりうる。ただしそれは、唯一の解釈にはならない。

WolfeWikiの方は陰謀論的な読みをしていて、想像力の面目躍如という感がある。かなり面白い。そういうのもありますね。

眼閃の奇蹟

盲目の少年リトル・ティブが機械に仕事を奪われ放浪者になったニッティとパーカーと共に管理社会になったアメリカを旅する。

オズの魔法使いキリスト教、そしてインド神話の背景をもつこの物語は盲目の少年の視点から見えるものと見えないもの、夢と現が混ざり合っていて、これまで以上に幻想的になっている。一方で表層的には明快な説明が与えられ、物語としても読めるようになっているので普通に読むだけならそんなに気にしなくても良さそう。

これまでの短編の雰囲気がところどころに漂ってくる。ウルフ諸島のタイトル遊びからも分かるように、ウルフは作品を変奏して繰り返す作風がある。親のいない少年は「デス博士の島その他の物語」、管理社会と逸脱者の処遇は「アイランド博士の死」、その社会へ復帰しようとする人物たちは「死の島の博士」、キリスト教のモチーフは「アメリカの七夜」と通底している。この短編集の掉尾を飾るにふさわしい一篇だと思う。

素直に読めばリトル・ティブがキリストであり、クリシュナである(治癒の奇跡を起こすのはキリストと同じでビールがコーラになるのは水をワインに変えた伝説の対比になっている。空中歩行については作中で説明された)が、管理社会となった世界は彼の存在を認めなかったということになるだろう。ただ参考サイトにあげた別の読みも面白かった。


面白い。正確に言えば、一部わからない話もあったが、分かった(と思っている)部分については面白いと思った。明らかに精読、再読を前提に楽しむ本なので、一日一冊一感想の読書ではキツいものがある(だったら一日一冊一感想をやめればいいのでは?)。一番好きなのは「デス博士の島その他の物語」。でもウルフらしさ(?)はこの作品が一番薄いんじゃないかな。「眼閃の奇蹟」とかはウルフ度が高い。バランスがいいのは「アメリカの七夜」。

最後にもう一度タイトルについて触れておくと、この短編集のはタイトル『デス博士の島その他の物語』であり、「デス博士の島その他の物語その他の物語」である。ここで「その他の物語」が二回出てくるのは(偶然かもしれないが)示唆的だ。ウルフの作品は語り手が現実と虚構を曖昧に語る物語であって、その物語はまた、フィクションと呼ばれるものでもある。読者は曖昧な語りに自分の好きな解釈を与えられる。このフィクションはそのような開かれた構造を持つよう人工的に作られている。こうして『デス博士の島その他の物語』は無数の「その他の物語」へと派生するのだろう。

参考になったサイト

ジーン・ウルフはなんか人気みたいで、いろんなファンサイトがあった。

記事によって内容の充実度が異なる。wikiというにはちょっと名前負けな感じがあるが、役には立つ、と思う。

アメリカの七夜」の読み。

アメリカの七夜」の読みの読み。

「眼閃の奇蹟」のエピグラフについての記述があり、ここの解釈が面白い。こういう引用について説明してくれる人はかなり偉い。ありがたい。ご利益がある。