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感想を書く。SF、ミステリ、それ以外について。

円城塔『文字渦』感想

「昔、文字は生きていたんだと思わないかい」

読んだ。ちなみに電子書籍版。

文字が生きている世界の連作短編集。非常に面白かった。あと、『Self-Reference ENGINE』や『Boy’s Surface』とはうってかわって読みやすくなっていた。個人的には文体が変わったのが大きいが、内容面でも読者に歩み寄っている感じがある。

円城塔は実験小説的な手法で小説を書くことが多く、読解が難しくなりがちだった。その点、『文字渦』は実験的な手法を取り入れながら、娯楽小説としても遜色ないものになっている。今回の小説は文字、言語についてのお話であり、ここにボルヘス的な要素が見られる。つまり、文字についてのギミックを文字で書かれた作品それ自体に仕掛けるのではなく、こういうギミックがありますよ、と一段下に配置して種明かし的に書く手法である。『文字渦』を書くのが労少ないかはともかく、これまでの円城塔作品と比べて読者に優しいのは間違いない。

話自体は文字を一本軸に歴史から架空の世界までを行き来する。その中で「文字の領域の拡大」というものがテーマになっている。文字と環境。くずし字を読める人は絶滅危惧種か、既に絶滅していてもおかしくない。文字と形。Microsoft OfficeのWordなんかを使っているとフォントも大きさも自由にいじることができるが、游明朝と創英角ポップ体で書かれた文章は同じものなのか。文字と意味。ある文字はある文脈のもとでのみ読まれ、文脈が変われば意味もまた移ろいゆく。こういった文字をとりまく周辺領域にたいして、円城塔と『文字渦』の文字たちは侵略してくる。それらも「文字」の一部だと言って支配領域を拡大してくる。

文字渦

兵馬俑の俑を作る俑はある貴人から永遠の像である真人を作るよう命じられる。彼が取った方法とは文字を研究することだった。

  • 分かりやすいツイストが仕掛けられている。ツイストがあるということに気づけるのが既に(円城塔にしては)リーダビリティに溢れている。漢字って情報量が多いよね。シャノンの通信路定理を連想した。誤り訂正ができるほどの符号化方法である漢字は伝達手段として過剰なのかも。

  • 像を作っている間にも対象の時間が流れているなら始めと終わりでは別のものを写し取っているのではないか。縮小写像不動点としての皇帝陵。数学的発想と兵馬俑の意想外な結合。

  • 題名は中島敦『文字禍』から。こっちは青空文庫で読める。

  • さらっと文字が生き物のように自己増殖する設定に触れている。以降、そういうことで話は進む。

緑字

文字の蛍光マーカー。漢字の部首には蛍光の性質を持つものがあるという話。

  • 人には意味をなさない記号列の中、わずかに浮かぶ日本語がある。蛍光タンパク質も生物学がモチーフだしほとんどが意味のない部分である記号列というとDNAの暗喩のようにも取れるが、その意味は?と聞かれると分からない。違うのかもしれない。

  • 個人的にはPDFファイルを連想した。ほとんどがバイナリのストリームで、意味が取れる部分はその途切れ途切れに現れる。組版の情報化という点でも似ている。作者によればマークアップ言語(メタデータを含むテキスト)ということなので、当たらずしも遠からず(PDFはマークアップ言語ではない)。インデントがついているのもそれらしい。

  • 媒体への意識が強い。小説はまずプロットがあり、それを伝える言語機能としての文字があり、文字は物理的な形を持つ。ここで最後の要素は意識されることが少ない(例えば電子書籍化はプロットと文字を保存するが、物理的な形は保存されない)。一方で書道なんかはむしろ形に着目した文化で、そういうのもある。文学の最下層で起こる異化効果。

  • 文章が分岐していくというアイデアが作中で披露されている。作品自体に適用しないで作中作に適用しているあたりに優しさを感じる。でも朗読作品でそういうのを作ったと聞いた気もする。朗読にしたのはもちろん媒体の問題で、小説は文字という単線的で一つのモードしか持たない一方、音声はモードを多重化できることによるだろう。

    • と思っていたら後の話でルビを使ってきた。そういう手もあるかぁ。

闘字

字でポケモンバトルをする話。

  • オチがなるほど!となる。ヘブライ語と漢字がつながったときはミステリで見事な解決編を見せられたような気分になった。面白い。
  • ゴーレムのモチーフは後でも出てくる。
  • 則天文字誕生秘話その1。
  • 「微字」と繋がっている。「微字」の微小文字が語り手(微小文字の研究者)のポケットに入っていたという仕組み。老婆の直感が鋭すぎる。

梅枝

小説のレイアウトの話。源氏物語を再現する書道ロボット、みのり。

  • 翻訳は何を保存するのか?源氏物語は英訳されてもその本質を失わないのか?少なくとも翻訳が何らかの差異を生むことはよく知られている(同じ本で複数の訳が出ている場合、それらを比べることができる)。
  • さらに、小説は何を保存しているのか、レイアウトは小説の一部ではないのか、と進む。源氏物語と一口で言っても、活字で書かれた現代語訳とくずし字で書かれた原書ではあらゆる細部が異なっている。それでも同じ「源氏物語」と言っていいのか。
  • 文学の解釈はテクストのみでは定まらないという話はよくあるが、では「テクスト」はどこまでが「テクスト」なのかは難しい。

  • 関係がありそうであまり関係のない連想。文字と媒体と書字方向の関係について。書字方向は字を書く道具で決まるんじゃないかと思う。文字を彫るのであれば彫刻や絵と同様に決まった方向を持たない。インクと羊皮紙なら左から右に書く。筆と巻物なら縦書きになるだろう。

    • 左横書き(この文章の向き)は左利きにはあまり優しくない。書いた字は手の下に隠れるし、手が字の上を擦るので手も紙も汚れる。あとペン先が進行方向を向いているので紙を「彫って」しまうこともある。
  • 電子書籍とキーボードの時代には書き方に方向が無い。また牛耕式が流行るんじゃないかと密かに予想している。

新字

境部石積が唐で思うこと。

  • 歴史の空白を埋めるような創作というとローラン・ビネの『HHhH』とかを連想させる。文字の力を借りて唐を乱そうとするくだりは呪術的でありながらもどこか説得力がある。
  • 則天文字誕生秘話その2。あるいは『新字』誕生秘話。

文字を書くとは、国を建てることである。

微字

字層学の話。

  • 生きている文字について地層学をやる。
  • 物理的な存在としての本。

    知恵自体は哲学でそう呼ぶところのいわゆる延長を持たなかったが、本の収納場所には困った。

  • 文字の繁殖様式。複製によって繁殖していく様は生き物のようでもある。門のなかに門を入れる入れ子構造は文字の前成説。門が連なって文字を生産するくだりはタンパク質の合成みたいだと思った。
  • 「闘字」と同じ語り手らしい。「緑字」の森林朋昌が出てくる。

種字

展開を秘めた文字、種字の話。

  • Boy’s Surface』に出てくるレフラー球による解釈の無限生成に通じるところがある。あるいは圧縮アルゴリズム。無限に続く数列を一つの漸化式で表せるような状態を連想した。一方で漸化式と数列を全て書き表したもの(もちろん無限にある場合は全て書き下すことはできないが)がその解釈者に同じ印象を与えるかというと、与えない。これがもっと高度になると、数学の命題は全て自明なのになんで未解決問題があるのか、という話にもつながる。表現の違いが直接意味の違いにつながる顕著な例と言えそう。
  • 文字の起源たる文字については「緑字」に記載がある。

  • 最後に筆を振るう存在の元ネタは空海。三次元の軌跡から5つの面に文を書くというのは相貫体を想起させるが、それだとn次元でn個しか自由度がないので、最大で三面しか書けない。どうやってるのだろう。

  • 文字でできたゴーレム。

誤字

文字たちの争いの話。

  • 文字コード上の領地をめぐって争っている文字の話が本文で進む。Unicodeの歴史はノンフィクションでも面白そう。一方、ルビの方では文字が漢字かなカナ混じった北朝とかなだけからなる南朝に分かれて争っている話が語られる。
  • ルビが語りかけてくる。紙面がギッチギチに詰まっているだけでなんとなく気を取られてしまう(このあたりはレイアウトの話と関係がありそう)。
  • 文字の解釈について。話としては文字と人間の入出力装置の間にソフトウェアが挟まっていて、表現を加工してしまう。これと同じことは入力と脳の間でも起こる(例えば目からくる信号と視覚)。私たちが見ているものは実際にそうであるものではない。錯覚や盲視はその例である。この話ではそのあたり、解釈系まで含むような意味での「言語」の支配の拡大が起こっている。
  • 小説に許される表現技法でとことん遊んでいる感じがあって楽しい。
  • ルビの話はこの後の「金字」と「かな」につながる。

天書

呪符を書く話。

  • インベーダーゲームアスキーアートを唐に持ち込んで老師と繋げ、真面目腐って論じるユーモア溢れた短編。この後2つの短編もふざけた話になっている。
  • 文字の排他的論理和を取るとかそれが入れ子構造になった文字になるとかいうアイデアも詰まっている。でも基本はインベーダーゲーム
  • 1xor1=0なら0=1xor1も成り立つ。空即色是、色即是空みたいなオチがつく。粒子と反粒子の対生成みたいだと思った。

    「〔…〕『門』と『門』を重ねて空白を生む出すことが妥当であれば、空白から『門』と『門』を生み出すことも妥当なはず〔…〕縦八文字、横八文字のあらゆる並びを、あらゆる種類の文字の並びを、ただ広がる空白として見ることだって妥当なはずです」

  • とても面白い。

金字

メカ親鸞から始まるサイバーパンク末法

  • 仏が出てきて、衆生を救済する!

    アミダ・ドライブは新開発の転生システムにより、迷える衆生の皆様に、快適な仏国土への旅を提供致します。

  • どことなくニンジャスレイヤーを想起させるところがある。
  • 物理法則に従う立場であれば超光速通信はできないのでは。何にせよ因果律があるので。そういった些細な疑問は迫力のあるフレーズによって押し流されてしまう。

    物質は物理法則に従い有限ですが、仏性は法に従い限りというものがありません。

超光速転生が超光速通信を導くことは当然ですが、 - めちゃくちゃ面白い。ちなみに法はダルマと読む。 - ここで出てきた即字成仏が「誤字」のルビたちの脱出手段だったっぽい。 - かなり面白い。

幻字

ワクワクの木連続殺字事件。

  • 鍿、って金田一じゃん。しかも犬神家の一族?え、これ、佐清ですよね。そんな感じのパロディ多めでギャグが炸裂している。
  • しかしただのギャグでは終わらず、この話自体が一種の文字の侵略だった、というオチがついている。
  • 非常に面白い。

かな

「をむなもじ」が語る文字についての話。文字をめぐる『文字渦』という連作短編集を一つに繋いで締め括る話になっている。

  • 「をむなもじ」あるいは「かな」。「誤字」から、あるいはその前から続いてきた文字の歴史の裏の主人公。それが語る文字たちの交雑と収斂の歴史。
  • 単なる文字に留まらない、文字の領域の拡大を宣言するラストは『文字渦』を象徴するものであって、それが「をむなもじ」の前向きな表明の形を取って現れる。

    ようやくこどものこえとすがたをてにいれることのできたわたしはつぎこそは、じぶんのことばにそだとうとおもう。


無数に散りばめられた言葉遊びやユーモアを拾い集めるのは難しいので感想に書けないのが残念。本作の面白さの半分くらいはそういうところにある。

円城塔のお話の語り手は顔がない。それは物理的に人間ではないこともあるし、個人性を薄められた何かであったりする。何らかの情景を文字に落としているのではなくて、文字で表現できるものが先にあってそれを表現しているというのに近い。文字による表現を新しい方向に開拓している。これまでの作品も同じ方向にあったが、『文字渦』はまさしく文字についての話であって、このあたり、分かりやすい。円城塔の言語に対する探究とエンタメ性が融合したとても面白い作品だったと思う。

資料

  • 作者本人の解説。 scrapbox.io

  • 気合の入った感想。土佐日記の話が面白い。著者のTwitterを引いている。こういう情報は流れて消えてしまうのでブログに残してくれるのはありがたい(しかし個人的には作者の Twitterがないと解釈できない話は好きではない。作品だけで完結してほしい。『ドニー・ダーコ』とかは一番苦手な映画だ。でも作者はこういう情報の流れを「密通」と言っているので、一応読者が自分で解釈できるようには作っているのかな。どうかな〜)。 shiyuu-sf.hatenablog.com