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感想を書く。SF、ミステリ、それ以外について。

サミュエル・R・ディレイニー『ドリフトグラス』

「ドリフトグラスを探しているんだ」

読んだ。めちゃくちゃ面白いが、記事のストックがかなり減った。それに反比例してこの記事はどんどん膨張している。つまり、この感想は分割されるだろう。

追記:「スター・ピット」、「時は準宝石の螺旋のように」、「エンパイア・スター」については別の記事になった。

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サミュエル・R・ディレイニーの短編集。最近は未来の文学シリーズにハマっている(まだ二冊しか読んでないけど)。もっと読みたいが、バランスが大事。何事もバランスって孔子だかアリストテレスだかも言っている。

ジーン・ウルフに似ている。ウルフの考察が好きな人ならこっちも楽しめそうだが、意外とそういうブログは見つからなかった。悲しいね。みんなも読んで感想を書いてほしい。あとはスタージョンにも似ている(雑にひとくくり!)。

スター・ピット

酒癖の悪い中年の男が酒をやめて、地に足をつけて働く話。

まず感じるのは閉塞感。銀河系をひとっ飛びできるようになったはずの人類の社会は、主人公と同様にどこか澱んでふさぎこんでいる感じがある。外宇宙に行けるゴールデンたちも性格に欠陥があり、他者を省みない。銀河系内宇宙では戦争が起こっていて、ゴールデンたちが外宇宙で見つけた発見は武器として使われ、主人公がかつていた星も消し飛ばされている。作中で登場する生態観察館(エコロガリウム)の中でプランクトンが壁にぶつかり、それから殺し合いを始めるシーンは、閉じた宇宙のなかで争う人類と他者を傷つけるゴールデンの姿の鏡写しだ。

このエコロガリウムの中では生態系のサイクルが循環している。この閉じた循環は作品世界自体にも適用される。主人公を含む一般人は銀河系から出られず、外宇宙に行けるはずのゴールデンたちは更に別の宇宙の存在によって発狂する。しかしその存在は冒頭で主人公たちの生殖グループがエコロガリウムに閉じ込めていた生物でもある。この循環構造の語り自体もぐるっと一周して最初に戻る構成が美しい。

この物語の中でもうひとつ強調されるのは「成長」というワードである。成長しなければ人は死ぬと主人公は言う。閉塞した社会の中で成長の余地はなく、互いに争ったり冷酷なゴールデンたちが蔓延っている。人工的に精神病を植え付けられた子供まで出てくる。しかし主人公は確かに成長している。酒癖のせいで元の生殖グループを追いやられた彼はスター・ピットでは酒をやめてきちんと働いている。これも冒頭10ページ程度で明かされる事実なのだが、そこに辿り着くのはやはり最後の展開を読んでからだ。ここにも循環のモチーフがある。

この循環は閉じた世界を表していそうだが、一つ希望の見える終わり方になっているとも読める。主人公が望んでいた外の世界を見ることは、実はずっと前にかなっていたのだ。主人公はその事実に気付いて、大笑いする。気付けたのはスター・ピットで酒を断って真面目に働いていたからであり、気づきというのも内面の変化に過ぎない。このあたりに作者の寓意が込められている気がする。早熟な子供たちやゴールデンといった人間性をなくして外界を探究する人々の対極にある。最後に主人公は言う。

最重要過程は生きること、働くこと、成長することだ。

自己を律し、手の届く範囲で満足せよ、というのは説教くさいテーマに見えるが、不思議な世界を構築して美しい円環構造を作り出すことでそれを感じさせない。完成度の高い作品であり、以降の短編に使われるモチーフもふんだんに取り入れられている。最初に読みたい短編。

コロナ

コロナウイルスではなく、太陽の方のコロナ。作中では曲名。

母親に棄てられ刑務所で惨めな少年時代を送ったバディ。彼が働く空港では(あるいは世界中で)シンガーのブライアンの曲が流れている。空港での事故で入院することになったバディはそこでテレパスの少女リーと出会う。リーは共感によって感じる苦痛のせいで自殺願望を持っていた。バディは空港にブライアンがやってくることを知っていたのでリーを誘うが、彼女は病院に監禁されている。療養の後空港に戻ったバディはブライアンがコンサートを開くのを知ってそれを見にいく。リーはテレパスでそれを感じとる。

筋書き通り。普通かなあ。音楽の力というテーマが今ひとつ刺さらなかった。極めてなにかスタージョンに近いものを感じます。でもちょっと及ばない感じもある。

然り、そしてゴモラ

展開が暴風のように目まぐるしく、荒々しい。「スター・ピット」のゴールデンの側から見たような物語。

宇宙航海士(スペーサー)とスペーサー愛好者(フレルク)の話。性的マイノリティの苦しみと懊悩を描き出すが、主人公の孤独が痛々しい。フレルクとの情事でも金でもない、なにか。同じスペーサーたちの中に居ても自分は一人であるという感覚。この雰囲気はディレイニー自身の経験からのものだろうか。

「いいか、おれは金なんか必要ないんだ!なんだっていいといったろう。おれは——」

タイトルの意味がわからなかったので調べてみたら、ソドムの罪が男色、性の乱れとあったので、その繋がりっぽい。同性愛者によるマイノリティ小説と見ることもできそう。

ドリフトグラス

波によって時を刻まれ、海という鏡に映しだされる世界を彼は見つめているのだ。

空気呼吸と水中呼吸ができるように手を加えられた人類は海の奥へと潜ることができる。彼らは両棲人と呼ばれた。主人公はその一人で、過去の海中事故で怪我を負っている。両棲人の青年トークは主人公が失敗したケーブル敷設に挑もうとするが、海底火山の噴火に遭い遺体となって戻ってくる。

ドリフトグラスは海を漂流して滑らかになったガラス玉を指す。歳をとった主人公の淡々とした語り口はこのガラス玉のように年月の辛苦という波に洗われた穏やかさと物哀しさをまとっている。情緒的な短編。

われら異形の軍団は、地を這う線にまたがって進む

電力ケーブルを敷設する世界動力機構。その一員であるブラッキーは「転換工作」のためにカナダ国境付近にやってくる。そこでは電力を使用せず、原始的な狩猟生活を送っている人々がいた。彼らの酋長であるロジャーは電力ケーブルの敷設とコンセントの設置に反対する。

グローバリズム vs. 反知性主義。ただ、これは反知性主義というより一つの部族、生き方と言った方が適切かもしれない。この問題は未だに世界を覆っているし、悪化すらしている。白人と黒人、先進国と途上国、黒船と開国。あらゆるメタファーを読み取れる。高きから低きに水が流れるように、格差があるとき人はその流れに抗えない。

他の短編とは雰囲気が違う。あとがきによると別の作家の作風を真似したものらしい。

真鍮の檻

どこか獄中に閉じ込められた3人の男(?)たちの話。

一人の男がなぜ「真鍮」の牢獄に閉じ込められたか、愛憎をめぐる罪の話を語るのが中心だが、本筋よりも残り二人のキャラと牢獄の中でただ話をするしかないという設定の雰囲気の方が好き。閉じ込められている状況と語りだけで進む物語というのがマッチしている。

ホログラム

自分のことを火星人だと思い込んでしまった言語学者の話。

よくわかっていない。フロンティアの過酷さというのはこの短編集の中でもよくテーマになっているので、その系列にとりあえず置いておく。

時は準宝石の螺旋のように

小悪党が宇宙を巡り大物へと成り上がる話。

宝石の煌めくイメージが美しい……のかな? ころころと変装する主人公のようにつかみどころのない小説。一応ピカレスクに分類されるのか。準宝石、シンガー、コトバといったオブジェが良い。

オメガヘルム

これも「我ら——」と同じような感じがする。エスノセントリズム。一つの価値観がそれ以外の価値観を呑み込んでしまう恐ろしさが描かれている。

ブロブ

ゲイ小説。なんというか、非常に、物理的に、ドロドロしている。情感がすごい。

タペストリ

なんか性の描写がある小説(雑)。タペストリーの元ネタがあるらしい。サイコを書くときのスタージョンっぽい。

プリズマティカ

灰色の男に連れ立って赤毛の男が3つの鏡を集めに行く。

ディレイニー風の御伽噺。そういいたければ神話でも冒険譚でも英雄譚でもイソップ童話でも日本昔話でも好きなように呼べばいいと思う。単純に楽しい。

プリズムのモチーフが所々に顔を覗かせる。灰色は厳密には色の無さを表現するには不適格(色は混ざり合うと灰色になるが、光は白色になるため)な気もするが、雰囲気は出ている。灰色の男、灰色の服、灰色の空、灰色の沼、灰色の……とにかく灰色が強調され、モノトーンな情景が思い浮かぶ。そのなかで主人公エイモスの赤毛や野良猫のオレンジ、宝石、緑の文字、虹色の服、極彩色の風景、そして虹の国とプリズム。点々と散らばるオブジェたちが鮮やかに浮かび上がる。

ちょっと露骨に狙い過ぎな感じはあるがそういうのが好きなのでこの短編も好き。

廃墟

これもそういう感じの短編。廃墟に行った少年が美しい女に出会うが、それは化生の類であり、襲われるも命からがら逃げ延びる。どこかで聞いたことがある話を再構成する。

漁師の網にかかった犬

ギリシャの漁師の話。非SF。どことなくガルシア・マルケスの『予告された殺人の記録』的なものを連想させる。閉じた田舎、取り残された田舎のモチーフもよく出てきますね。

夜とジョー・ディコスタンツォの愛することども

想像の世界で生きる男の話。

ウーン。どういう話なのか分からなかった。幻想的ではある。自分が想像することでつくりだした人物たちとの会話。作家と登場人物の関係の寓意を読み取れそうではある。マクシミリアンの不安とか。ポール・オースターの『写字室の旅』っぽい。個人的にはあんまり教にがないので乗れなかった(書くことについて書く作家も少し苦手だが、それがさらに進んで架空の登場人物を作り出すことの云々と言われるともっと他に気にすることはあるだろ!となる。それを言えば本を読むよりも他にするべきことがあるのだけど)。

あとがき——疑いと夢について

創作講座でディレイニーが思ったことを綴っている。アンチ・パターンからなるべく遠ざけること、漸近的に文章と物語を良くしていくことについて。

エンパイア・スター

一人の男の子が不可思議なスペース・オペラ的冒険を通じて成長する話。成長というのは「スター・ピット」でも出てきたテーマである。「スター・ピット」と「エンパイア・スター」は物語の素材、展開、テーマが対になっていて、前者への返歌がこの短編なのだと思う。主人公は諦めた中年ではなく未来ある少年になり、宇宙の片隅に閉じこもるのではなく世界中を駆け巡る。しかし最初に戻ってくる循環構造や人間と人類の成長というテーマはどちらの作品でも一本の筋を通していて、一見してバラバラな出来事の集まりに一つの統一された意味を見いだせる。最後に読みたい短編。


「スター・ピット」に始まり「エンパイア・スター」に終わる短編集。どちらの話も大きく回って最初にいたところへ戻ってくるお話であり、『ドリフトグラス』自体もその構造を持っていて、読み終わると物語をぐるり一巡してきたような気持ちになった。