あかいねじ

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サミュエル・R・ディレイニー「時は準宝石の螺旋のように」感想

「——手持ちのあらゆる情報が状況の全体像と関わりあっているかどうかを常に確かめるんだ。おれを出し抜くにもそれしかない」

読んだ。

小悪党が宇宙を巡り大物へと成り上がる話。

筋立てだけならノワールものやピカレスクものっぽいがそうではない。なんとも捉え所のない短編。主人公がH・C・Eの頭文字を持つ名前をコロコロと変えるのはジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』から。この引喩を見るだけで怖気付いてしまう。

ひとつ前の「ホログラム」と同じくホログラフィーがモチーフとして出てきていて、これが鍵になりそうではある。一部が全体の情報を持ち、全体像は全ての細部に宿っているという主題があり、この短編がぼんやりとしてはっきりと像を結ばないのはそれが一部の情報でしかないからなのかもしれない。しかしホログラフィーの説明を考えるとこの一部だけから(おぼろげながら)全体像が分かるのだろう。うーん。でも分かんないものは分かんない。うん。

準宝石、シンガー、コトバといったオブジェが良い。それが意味するところは……分からない。シンガーは少しだけゴールデン、スペーサー、両棲人に近いところがある。ディレイニー自身の投影、才能と孤独のテーマはここにもありそう。

追記:もう一度読み、さらに伊藤氏による後書きも読んで分かった(つもりの)気分になれた。ホログラフィーのモチーフはあらゆる細部の情報が未来や大きな計画を伝えているというパラノイアに繋がっている。モードが現れた時にはこの考えを拒絶して取引を敢行した主人公は、一年が経ってザ・ホークと再開した時あとでは極めて猜疑的になっている。もうひとつのモチーフ、シンガーは情報の広報者であり、大元である。情報はシンガーから人に人から人にと指数関数的に広がっていく。情報を取り巻くこれらのイメージは極めて陰謀論的な雰囲気が漂っている。これでもホーク周りの話とかは解決していないし、準宝石に準えた一年の流れの必要性も分かってないが、大筋は把握できた気になった。

ホログラフィーは光の干渉を利用して結像する技術なので、途中で出てくる統計が云々という話は誤解がある気がする(この部分がホログラフィーと明示的に関連づけられているわけではないのでこれは誤読かもしれない)。ホログラフィーにはランダムネスがなく、ホログラムのサイズが大きくなると像がクリアになるのは単純な足し算の結果だ。統計というより単純な数の問題だと思う。

ちょっと古い感じがする。全体的にそうだけど、これは特にその色が強い。どうにでも読めそうではあるが、個人的にはどう楽しんでいいのか分からなかった。ほえー。