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感想を書く。SF、ミステリ、それ以外について。

荒川洋治『文芸時評という感想』感想

この世をふかく、ゆたかに生きたい。そんな望みをもつひとになりかわって、才覚に恵まれた人が鮮やかな文や鋭いことばを駆使して、本当の現実を開示して見せる。それが文学のはたらきである。

読んだ。感想の感想を書くというのはなんか自家中毒に陥ってる感じがある。今回はそんなに書くこともないのでいいか。

この前読んだ本で批評というのは型があり、それを真似ることでいい批評が書けるのだ(意訳)ということが書いてあった。なので、マメするために批評を読むことにした。「文芸時評という感想」は批評なのか感想なのか、渾然一体としているが、この方がブログ的文章には合っているだろう。

個人的にはかなり渋いチョイスだが、高橋源一郎がどこかで勧めていたのを見たので図書館で借りてきた。私が生まれる前から書かれている文章で、そのうえ時評ということもあって、時代を感じさせるところがなくもない。さらに言えば文芸には明るくないのでほとんどが知らない名前だった。当たり前か。


読んだことのない本の感想を読むとはどんな行為なのか。感想記事を読む人間はどの層にいるのかは分かる。自分が属する層だからだ。自分の感想と「答え合わせ」がしたくて、他の人の感想を見る。もう読んだ本について、さらに別に見方なりなんなりを探したいという動機がある。本書は新聞や文芸誌に連載されていた文芸時評ということで、読んでいるのかいないのか、その辺り判然としない層に向けて発信されている。思うに、この「文芸時評」というのは個別の作品ではなく、文芸、文壇、純文学一般という抽象的な世界に向けられているところがある。作品は作品で読みたい、できれば作家の存在も考えたくないという風に読んでおり、こうなると小学一年生にディラック方程式を見せるようなもので、なんとも、難しいことだなあと思った。読んでない本の感想を読んでなにか意味をなすのは難しいことだ。うーん。こういう感想を読むにも書くにも、力不足だなあと感じる。純文学は読まないからまあいっか。えへ。

それでも荒川洋治というひとは感性で文学を語る人で、仰々しい言葉を使わずに文体や表現の機微を解説している。このあたりにはどうにも疎いので、そういう成分を大量に摂取できたのはよかった。これを吸収できるかはまた別だ。

文芸という一つの界隈があることが新鮮に感じた。小説家がいて、批評家がいる。そこでなにがしかのやりとりがある。そういう、自分の知らない生態系があるんだなあと思った。

世の中には知らないことがたくさんありますね。とりあえず町田康の本を読んでみたいと思います。