グレッグ・イーガン『TAP』感想
TAPはもっとも強制的なVR以上に、ユーザーを没入させることができる。いっさいの媒介なしに、人をある情動状態にすることができるのだ。
読んだ。
グレッグイーガンの短編集。いつものとは違ってバリバリのSFといった風ではない。SFのサイエンス要素には分かりやすい題材が選ばれていたり、技術的、科学的には深掘りしないで話を進めている。SFではなくホラーを扱ったような短編もある。かなりSF寄りだが。
新・口笛テスト
- ある曲あるいはフレーズがずっと頭の中で流れて離れない。別のことに集中しようとしてもフレーズが思考のリソースを占有してしまう。そんな経験をモチーフにした話。
視覚
- 脳の損傷で現実が三人称視点になってしまう話。
- 見ているものは実際のものとは異なっている。
- 掃除機で視点を体に戻そうとするのは幻肢痛の治療をモチーフにしたのかもしれない。
- 鏡療法。
- これも一種の認識ハックっぽい。
- 鏡療法。
- 三人称視点になることで却って冷静客観的に判断できるようになるというのも認識ハックっぽい。さっきからこれしか言ってないな。
ユージーン
- 宝くじを当てた平凡な夫婦が最強の子供を作ろうとする話。
- 遺伝子編集技術をモチーフに優生思想を扱う。
- どちらかと言えば反出生主義か。反出生主義の一つの主張として同意不在論があり、これは当事者の同意のない出生(つまり、全ての出生だ。同意するには同意する本人が存在しなければならないし、出生の定義から言って出生を行う前に存在することはできない)は非倫理的であるという主張である。
- 作中では過去への干渉ができる、従って出生に同意するか選べるような子はみな出生を選ばないというオチが皮肉に描かれている。
- ユージーンの主張は個人に適用された反出生主義の主張そのもの。
- 宝くじは子供を産むことの暗喩だろうか。どのような子が生まれるかは事前には分からない(それこそ遺伝子改良でもしない限り)。
- リチャード・ドーキンス『利己的な遺伝子』でもそういってたし。
生存機械が下す決定はすべて賭けだ。
- リチャード・ドーキンス『利己的な遺伝子』でもそういってたし。
- 金持ちと教育格差の話でもある。あるいは金がどう分配されるか。
- タイトルはユージーン(Eugene)と遺伝子(gene) を掛けている?
- 遺伝子編集技術をモチーフに優生思想を扱う。
悪魔の移住
- 自分を殺すよう呼びかける謎の声(?)の主の話。こいつ、直接脳内に……!
散骨
- 夢か現か、殺人犯を追うジャーナリストの話。
- 非SF作品。ホラー。
- 報道がもたらす負の外部性ではむしろ自殺報道と自殺件数の関係の方が有名かもしれない。
- ウェルテル効果。
銀炎
- 謎の疫病とスーパースプレッダーの話。
- 反知性主義(?)の話。
- 地獄への道は善意で塗装されているという話でもある。
- 倫理的であるにはいくらかの理性が必要というのはその通り。人を鉄アレイで殴り続けると死ぬという事実を殆どの人類が理解しているのは奇跡に近いと思う。
- コロナ禍の中で読むとなかなか感慨深い。
自警団
- 町の怪物と子供の話。
- 夢から実体化して法律を破る非行青少年を喰って回る怪物。契約の穴をついて自由になった怪物を大株主の子供が制裁する。
最後の一言がよく分からなかった。
「それにほかのだれも、お前が死ぬのを夢に見なかったんだろ?」
誰もやらないから子供が自己犠牲をするしかなかったということか。
- 子供が勇敢すぎる。かっこいい。
要塞
- 人種差別の話。
- 『万物理論』の序盤に出てきた富豪と同じモチーフ。塩基対を取り替えて、同じソフトを別のハードで使う。
- なにげにイーガンの好きなテーマ?何かを拠り所にして「こちら」と「あちら」に分断するあらゆる運動への批判。
森の奥
- 森の奥で死ぬ男の話。
TAP
- 外付けされた脳の話。
- TAPをつけた詩人が心不全で死んだ。その真相を探るSFミステリ。
- テクノロジーの進歩を受け入れる人々とそれに抗う保守的な人々。
- 一方の極はレメディオスやジェインのようにTAPを受け入れる側、他方にはダニエルといった既得権と伝統のためにそれを管理しようとする側。
- ジェインとダニエルの対立には理解と信仰の対立が描かれているが、ジェインがダニエルの目を盗んでTAPを渡せたのは、技術を押さえつけることはできないということなのかもしれない。
- 個人的には信仰は人類に有益だと思う。常に逃げ道があるというのは安心できる要素じゃないですか?
- 主人公は新たな言語を操る能力と自分が馴染んだ従来の言葉の間で決断を迫られることになる。
- それは広い意味では科学技術(ここ数世紀で発展した)と人間(ここ数万世紀を生きてきた)の対立なのかもしれない。
- ジェインとダニエルの対立には理解と信仰の対立が描かれているが、ジェインがダニエルの目を盗んでTAPを渡せたのは、技術を押さえつけることはできないということなのかもしれない。
- 一方の極はレメディオスやジェインのようにTAPを受け入れる側、他方にはダニエルといった既得権と伝統のためにそれを管理しようとする側。