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感想を書く。SF、ミステリ、それ以外について。

ダニエル・カーネマン『ファスト&スロー 上』感想

あなたは定規を信じることを選んだが、システム1がやりたいようにすることは止められない。同じ長さと知っていても、そのように見ることは、あなたには決められないのである。

読んだ。というか、読んでいる。今日中に下巻まで読めればいいのだけど、読めそうにない。読書と感想のペースについて考え直した方が良さそう。

プロスペクト理論の提唱者であるダニエル・カーネマンの本。少し古い。心理学の分野は再現性が低い実験が結構あって、この本に載っているマシュマロ実験とかも2018年に否定的な結果が出ている(この本自体は2012年に日本語訳が出ているのでこの結果に触れていなくても仕方ない)。マシュマロ実験は有名だったから検証実験も行われたが、概して検証実験は目立たないし、p=0.05の間違った仮説は100人が思いつくだけで5つの有意な結果が生まれる。この本で語られている通り、統計は難しいし、そこから何か意味を引き出すのはさらに困難を極める。

内容は面白い。認知バイアスについてこれでもかというほどの例を出してくるし、読者の認知システムを試すような質問、文章をふんだんに取り入れている。この点で、読む、というより、体験する、という本だと思う。書かれていることを読むだけでなく、それが実際に働く場面にも立ち会うのだ。

少し話が脱線するが、『グランド・イリュージョン(原題:Now you see me)』という映画がある。マジシャンたちが華麗に犯罪をやってのけるという内容のこの映画の冒頭は、マジックを披露する場面から始まる。カメラはマジックの観客の一人称視点で、そのマジックは作中の観客に向けて披露されているが実際にはスクリーン越しに私たちを騙しているのだ。これに近いものを感じた。

話を戻す。本書では『利己的な遺伝子』と同じようなショートハンドを使っている。努力を伴う意識的な行動と努力を伴わない自動的な行動の二者のタスクへの取り組み方が異なることを、速い思考であるシステム1、遅い思考であるシステム2がそれぞれの課題に取り組むという擬人化を行っている。もちろん、そういうシステム1,2が実際に存在する(存在するってなんだろうか)わけではない。人間が取り組むタスクには種類があり、それぞれの種類でそれぞれの性質があるということだ。そしてとりわけシステム1にまつわる認知バイアスに本書の主眼が置かれている。知ったところで認知バイアスは無くならないが、判断を正すチャンスは生まれるかもしれない。

この本で扱われている内容

3つ目以降は広い意味では全て認知バイアスに含められると言っていい。

全体的にかなり面白いが、特に興味深かったのは、証券会社の話。

「あなたが株を売ると誰が買うのか」と私が質問したのに対し、マネジャーは漠然と窓の方を指し示した。

株式市場というのは考えてみると奇妙だ。金融経済では効率的な市場を仮定するが、真に効率的なら売買は起こらない(効率市場ではどのような株も割高/割安ではなく、従って取引は手数料だけが嵩む行為になる)。ここら辺については経済学者もいろいろ考えているのだろうとは思うのだけど。しかし本書によれば大半の個人投資家は取引を多く行うほどパフォーマンスを悪化させているし、投資信託ファンドの運用成績は統計的にサイコロ投げに近いと切って捨てている。適切な知識を持って運用できるなどということはスキルの錯覚に過ぎない。これが本当ならなかなかすごいことだと思う。

このことを読んで、じゃんけん大会を連想した。日本国民の1/10が参加するじゃんけんトーナメントでは、全員が同じ条件で戦うにもかかわらず一回も勝てない人から23連勝する人まで存在する。株式市場に参加しているプレイヤーが何人かは知らないが、同じ構造を持っていても不思議ではないかな。いや、やっぱり不思議かな。

雑感

  • 最近で言えば(といってもここ一年続いていることだが)コロナウイルス検査の偽陽性なんかもここに挙げられる誤謬の一つだろう。あとはAIの差別とか。私には既に存在する人間の差別の方がはるかに問題に思われるし、本書で言うようにそれはアルゴリズムで解決できるだろう。
  • システム1が誤りやすいのはそうだろうが、これは単に時間選好が違うというだけのことではないだろうか。時間を金銭などの他の価値より重視するのは社会的にはあまり歓迎されないかもしれない。では、時間選好を変えればいいのか。しかし、意思決定に使う時間を決定するという事態はそれ自体が時間を使うという点で停止性問題に似た問題がありそうだと思う。
  • この本の重要な示唆(だと私が思うこと)として、人による評価が大いに誤りやすいということが挙げられる。無意識、システム1は影響されるべきでない要素に影響を受け、それは石器時代には有用だったかもしれないが、現代社会では悪用可能な脆弱性だ。
  • 筆者は採点作業における確証バイアスを例に挙げて、自分の評価にバイアスがかかっており、信頼に値しないことを発見した。裁判、人事採用、選挙といった場面でも同様に、人の判断が全てを決める(特に前二つは少数、あるいは一人の判断になる)。この本を読んでから人間の判断に全面的に依存している機構を見ると、気違い沙汰のようにしか思えなくなるかもしれないが、そこには正しさよりも優先されるものがあると言われれば返す言葉はありません。