高橋源一郎『銀河鉄道の彼方に』感想
「ではみなさんは、そういうふうに川だといわれたり、乳の流れたあとだといわれたりした、このぼんやりと白いものがほんとうは何かご承知ですか」
読んだ。
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- しかしその童話とは裏腹に内容はかなり難しかった。
- 内容が難しいというより現代日本文学?というものに初めて触れたことによるショックなのかもしれない。
- しかしその童話とは裏腹に内容はかなり難しかった。
ジョバンニとカムパネルラと思われる登場人物たちが同じ様に登場する(のちに明示的に)。彼らの父の会話。世界についての思索や宇宙飛行士の秘密の計画。宇宙の果てへ向かった孤独な男。その手記。謎の黒いもやという敵。ここらへんは普通のSFっぽく、普通に面白い。
全体の半分くらいを占める第3章がすごいことになっている。銀河鉄道が出てくるのもこの章。ジョバンニとランちゃんの冒険がメインで進むのかと思いきやどんどん話が脱線していく(鉄道だけに)。宮沢賢治その人まででてくる。繋がりがあるような、ないような、断片の集まりで構成されている。確かなものがなくなった世界。死人が蘇る世界。物語を旅する二人。記憶がなくなるせいで本が必要な世界。言葉の世界。機関車の誕生。夢の世界。筋肉を極めたトレーナーの話とかはものすごく場違い感があるのに謎の勢いがあって滅茶苦茶に面白い。
中でも物語を書く人物にまつわる物語は高橋源一郎のいう「コード」とは関係ないだろう(と素人の私は思う。さらにいえばこの本全体を通してコードを無視/直視する試みがみられる。この断片もそうだ)。
物語の登場人物はそれですべてなのか。物語はただ書かれたもの以上のものであるのか。
ブラックホールが「石炭袋」とよばれたり「まっくろなあな」と呼ばれたりする。もちろん死や終わりの隠喩として。しかしこんな記述もある。
「この『列車』が向かっているのは、『死』なのですか?いや、『石炭袋』とは、要するに『死』のことなんですか?」
わたしは、愚かなことを喋ろうとしていると思いながら、いや、間違ったことを喋ろうとしていると思いながら、それでも、そのことを口に出さずにはいられなかったのです。
この人物もまた、物語の登場人物なのだ。先ほど宮沢賢治その人が出てくると書いたがそれは正しくない。それは宮沢賢治その人として書かれた登場人物であって、宮沢賢治ではない。
第4章はもう文体の試行になっている。大きな文字で書いてみたり、改ページを多用したり、繰り返したり。モダニズムとかハイモダニズムに影響を受けているらしい。
最近知った言葉で「ヌーヴォー・ロマン」とか「反小説」というものがある。そういう思想の流れもあるのかも知れない。詩のように書いてみたり、繰り返してみたり。実験的な小説の書き方。
小説の技法的革新や実験を信じることがモダニズム。それが極限まで至ったものがハイモダニズムです。 ——『小説の読み方、書き方、訳し方』
全体的に、圧倒される小説だった。詩のような小説なかなか読者の力が試される。私では全然歯が立たない。次は『さようなら、ギャングたち』を読んでみたい。