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感想を書く。SF、ミステリ、それ以外について。

アンソニー・ホロヴィッツ『カササギ殺人事件』感想

わたしとちがって、あなたはちゃんと警告を受けたことは忘れないように。

読んだ。

カササギ殺人事件』は上下分冊でボリューム満点だが、その分、1950年代の名探偵が現れるオールドスクールな探偵小説と、現代でその読者が巻き込まれる殺人事件という、二つのミステリが詰まった豪勢な作りになっている。

ミステリというジャンルに対する自己言及的な作品でもある。そもそも登場人物が作品を作る(あるいはそれに準じる行為をした)という体で語るのはワトソンやヘイスティングスの手記から続く先例がある古典的なミステリの語り方だ。それを踏襲してミステリのお約束(あるいはフィクションのお約束)を守り、時にそれを皮肉に言及し、といった具合である。

感想

上巻の始まり、(現代で)主人公が読者に妙な警告をする短いくだりが入ると次の見開きは

『名探偵アティカス・ピュントシリーズ カササギ殺人事件 アラン・コンウェイ

これである。堂々たる作中作。新聞各紙のメッセージまで届く念の入り様(もちろん伏線なのだけど)。以降普通のミステリと同じように進行して上巻最後まで進行する。

下巻は上巻と同じところまでを読んだ編集者が主役。上巻は最終章一歩手前で終わっていて最終章の原稿がない。最終章の原稿を探しに行く編集者。すると作者のアラン・コンウェイが死んだという一報が入り、殺人事件にまきこまれていくわけだ。

この捜査もどきの中で作家の為人、別れた妻、ワナビーのバイター、出版社の社長、と回るうちにアランが作品に残した謎と現代編のオチが現れる。この部分には、なんといってもジャンル:ミステリに対する意識が通底している。娯楽小説。名声と期待。ミステリのお約束。あるいはコナン・ドイルシャーロック・ホームズの有名な逸話。有名なら逸話じゃないか。同じような話は事欠かず、そういうものが事件の真ん中で渦巻いている。内輪向きな感じがするテーマに感じたが私のように本を読まない人間にも雰囲気が伝わってくるのは流石。ヴァン・ダインとかノックスとかをお題目にするよりもこういうのが好きだなあ。

一番の見せ場といえばやはり第七部が最後にやってくるところだろう。上巻で宙ぶらりんになった結末に、しかし下巻での現代の人間関係、作家アラン・コンウェイの人物像を経て、読者たちは戻ってくる。するとなんでもない描写、ただのミステリの解決編に下巻で与えられた現代の情報からパッチワークみたいにつぎはぎされた人物が浮かび上がってくる。ミステリの裏側、小説の裏側を見てもその作品を楽しめますか?というオチ。面白かった。

その他

  • アランの元妻メリッサが、主人公の彼氏アンドレアスの元カノだと判明するシーンでいきなり格付けし出すのウケ。
  • 謎解きは普通と優しめだと思った。手紙のくだりは2ページで矛盾させといて、隠す気あるのか……?となった。
  • でも手紙が切り取られてるのには気づかなかった。マヌケとは私のことです。
  • 謎解きとか推理とか論理とかなんとかよりも、物語とその構成の美しさが良い(のでOKです)。
  • 翻訳が大変そうという印象。言葉遊びが出てくるので。安易か。あと手紙の仕掛けもパリティを崩せないだろうし(電子書籍とかどうなるんだ?)。本の左手側が軽くなり——のくだりもローカライズされているくらい気配りの達人が翻訳してくれているのでありがたい。
    • magpie で調べても (by Oxford 英和辞典) 黒白斑の、という意味は出てこなかった(ただカササギは黒白斑模様らしい)ので、翻訳者さんや解説者さんの助けがないと私のような英語の読めない人間はドンドン読み落としてしまう。
    • でもそれを知ってから本を閉じ、表紙に戻ると解剖された/パッチワークのカササギが随所に散りばめられた黄金期のミステリのオマージュ、アランの描く人物たちに重なり合い、感嘆してしまう。
      • 最後の一章のために下拵えするのは『カメラを止めるな』とかに通ずるものを感じた。一方の作品で他方の背景情報を与えて感動を増す。作中作使うとだいたいそうなるのか。ヒットしたければ作中作を使え。
  • これはマジでどうでもいいのだが、上下巻ある作品の下巻だけを借りる(私は図書館で本を借ります。貧乏なので)人にはどういう動機があるのだろう?上巻を読んでから下巻を開くまで一週間くらい開いてしまった。ホワイダニットが好きな人に推理してもらおうかな。
  • 最後に、ちょっとした疑問について。アナグラムのくだりはおお!となったのだが、アティカス・ピュントの名前は一作目で既に出てきている。すると、アラン・コンウェイのプランは次のようになる。鳴かず飛ばずの作家が九作以上続けられる、かつ、自分の一存で完結させられる立場を出版社に約束させるような素晴らしく魅力的ミステリを執筆し、売り込み、九作書き上げる。そして仕掛けを暴露する。 つまり、遅くとも一作目提出前には仕込みが始まっていることになる。大当たりしてミステリを書かざるを得なくなってからではない。ミステリ書いたらって言われるのがそんなに嫌やったんか(というか、これもジャンル:ミステリに対する底なしの憎悪ということなのか)……。